苦労は買ってでもしろ
苦労は買ってでもしろ 教えて頂いてこと26種類分化の理法 「十人十色」「田で食う虫も好きずき」「割れ鍋に綴じ蓋」「人みて法をとけ」「豚に真珠」などの種々な諺も、「種類分化の理法」を基にした考え方です。もし、この世の全ての事柄が、「種類分化の理法」によって異なっていないならば、「十人十色」という考え方は出てきません。 「十人十色」とは、種類・分化されて、この世は存在している事を悟らせる為の一つの例にしか過ぎない。人の顔も、指紋も、浜辺の砂の一粒々も、一つ一つの雪の結晶も、みんな違うものです。この世は、「種類分化の理法」によって、全て個々の異なったもの(固有性)で成立しています。 「種類分化の理法」で、この世は成立している、という事は、もしこの理法が働かなければ、この世は成立し得ないということになります。 種類分化していく働きを無くせば、食物と非食物の違いも無くなるし、更に種々な物質の違いも無く、分子・原子・種々な素粒子の種類も違いも無くなってしまう。更に又、物質と非物質(物質と形而上的存在)の違いも無くなってしまい、もはやこの世は成り立たなくなります。 「あんな人は見たくない、会いたくない」とか嫁姑が互いに「顔も見たくない」などと見ることに対してマイナスの意識を常に持ち、眼の役割機能に対して否定的な心使いをしていれば、その様な精神波動が潜在的に意識の中に蓄積して、次第に肉体的眼の機能に障害が起きます。耳に関しても同じ事です。耳を使いより良く人様の言うことを聞き分ける事は、理に適った行いです。 理に反した行いとは、自分が一方的いこじな固定観念(ステレオタイプのアイデア)をもち、他人の言う事には耳をかさず、がんとして自分の固定観念だけを押し通すような場合であります。一般的に“つんぼのガンコ親父”といわれるのは固定観念によって、人の言う事に耳を傾けなくなり、耳の役割機能を失った姿です。お年寄りでも、耳の良く聞こえる人も居れば、聞こえない人も居るという差が出てくる理由は、耳の役割機能を十分に肯定的に使っているか、それとも否定的に使っているかによるものです。 「私は絶対にお前の言うことなんか聞かないよ」とか「そんな事は聞きたくない」と言って、聞けることに感謝がなく、不足していると、耳は遠くなります。人生において、人が色々の困難な問題にぶつかった時、人は新たなる体験や認識を行います。新しい体験や認識は、自分の今までの考えを拡大し、人生問題を解決する為には、どうしても自分から脱皮して自分の考え、態度、行いを改善改良せざるを得なくなります。「苦労は買ってでもせよ」という事は苦労すれば、するほど、自分の成長発展に結局は還元されるからです。