自分が思っている通りにしか見ていない (2)
内在的な心の世界と外在的世界 教えて頂いたこと31 夕焼けという大自然の事実は同じであっても、それを感じてどの様に自らの心の世界、観念の世界に映すかは、各人各様種々に異なります。ある人は夕暮れの光景の美しさを感じ、ある人は恐怖を感じ、ある人はわびしさを感じます。人は皆全ての物事を自分の心の世界に映して見ているのです。一般意味論ではこの事を「自分が思っている通りにしか見ていない」(what you see is what you believe !) 確かにその通りなのです。自分が相手をへんな人と思っていれば、へんな人としか見ていないのです。いやな仕事だ、いやな職場だと思って見れば、自分の心の世界にはいやな実感しか映ってこないのです。なまこを美味しいものと思っている人には、美味しそうに映ります。西洋人の様に、なまこをグロテスクで気味の悪いものと思っている人には不気味さしか自分の心の世界に映っていないのです。心は常に自分の心の世界、観念の世界にしか住んでいないのです。自分の心が住んでいる観念の世界を「内在的観念の世界」と言います。これに対して、自分の肉体が住んでいる物理的事実の世界を「外在的物質の世界」と言います。外在的世界は同一であっても、見る人の角度や遠近によって、内在の世界に映る赤い玉は、ゆがんで見えたり、小さく見えたり、大きく見えたりします。常に同一の大きさと形であっても、いったん心の内在の世界にゆがんだ玉が映ると、私達はゆがんだものだと思い込み、そう信じてしまいます。自分が偏見や先入観をもって物事を見、人と接した時には、ゆがんで見える如く、物事や相手の人間がゆがんで見えてしまうのであります。そして一度ゆがんで内在の世界に映ると、増々そう信じ込んでしまい、増々その様に見えていくのです。憎しみを持って人を見れば、相手の人は増々憎らしく見えてくるのです。育児ノイローゼの母親は、子供を育てる自信がないと思って子供を扱いますから、子供を育てる事の自信を増々失い、その反面、自分はダメだという実感と信念は反比例して強まっていきます。内在的な世界には育児に関して自信を失う事しか映らなくなってしまうのです。心の内在の世界は、育児に対しての不安と恐怖で一杯となってしまいます。ノイローゼとは、内在的心の世界に不安・苦しみ・悩み・恐怖などストレスが蓄積し、内在的心の世界がマイナスの観念で一杯になった状態です。ノイローゼにまではならなくとも、正常な人達ですら、悩み・憎しみ・怒りなどで気持が一杯の時は同様の状態なのです。競輪・競馬・ギャンブル・酒などに狂っている場合、恋愛やその他何か夢中になっている状態などの場合は全て、夢中になっている対象が内在の世界一杯に広がっている姿なのです。生きる喜びや感謝などのプラスの観念が内在の心の世界一杯に広がれば、悟りの世界となりますが、逆に不足・不満・恐れ・憎しみ・苦しみなどのマイナスの観念で内在の心の世界が一杯になりますと、この世は生き地獄となってしまうのです。地獄・極楽とは外在的世界にあるのではなく、自分の心の内在的世界にあるのであります。だからこそ悟りが必要なのです。外在的世界の同一の事柄を心の内在的世界では大きくも小さくもとらえる事ができるのであります。マイナスの事は気にしなければ段々と小さく映っていき、やがては消えてしまうのです。私達にとって一番大切な事は、先ず自分の内在的な心の世界を悟りによってプラスにする事です。