他の為に生きるという事
何故他の為に生きていくかが必要なのか?教えて頂いた事39どのように生きれば良いか求めてきました。この世界は、人間が造った世界ではありません。この世界は、人間を越えた自然の創造主が造り出したのであります。到底、考えも及びません。全て生きとし生きるものをより良く活かそうとしています。私達生きとし生きるものに生命を与えて下さっています。それぞれの生命は、より良く生きるために徳という眼に見えない運命貯金を持っています。 問題は、この運命財産である徳を増やして生きているか、もしくは徳と言う運命貯金を減らして生きているかということです。とにかく、どちらかで生きております。一人一人に、その徳を持たせてあります。そのことに気が付いて、皆の為に生きるということが、徳を増やす生き方です。マイナスの種を蒔いてプラスの収穫にはなりません。マイナスの種を蒔いたらマイナスの結果しか出ません。誰がやろうとも、何時やろうとも、どこでやろうとも、必ずその様になることに決定しています。親が子供を思うように、一人一人が、他の為に役にたつ生き方をすれば、より良く生きていくことができるのに、自己中心で生きています。自己中心で生きると悩むことになってしまいます。何故なら、悩みの本質は、自分の事を考えているからです。他のことを思いやると悩みはありません。そこに自分が無いからです。 私達が皆の為にと行っているとその行いが、体を使ってやろうとも、お金を使ってやろうとも、言葉を使ってやろうとも、全て徳と言う運命貯金になることになります。 この徳を減らすことばかりしていて、それなのに幸せに暮らそうとしています。しかし、マイナスをしていてプラスになることはありません。誰かが他の為の生き方に気が付いて行って行かなければなりません。 運命財産である徳という運命貯金がありますと、この世界の通行手形の様なもので、より良く生きて活けるのであります。問題があったときに、徳積をして事にあたれば、必ずその様な現象が起きます。現象が起きると益々徳を積んでいきます。しかし徳の無いものは、事が起きると、益々徳を減らしていく生き方をしてしまいます。