終止限界について
終止限界について 教えて頂いたこと45 人間の世界にだけ法律・秩序があって、大自然界の営みの中に絶対的な掟がないことはありえません。むしろ、大自然界の中に掟があるからこそ、全ての営みがなされています。掟・秩序は、一つの決まりがあるからこそ存在しています。体の中にも秩序があります。一つのきちんとした働きがあります。私達も口から食べています。口以外から食べてはいません。つまり、秩序がなければ、この世界は混沌としている世界です。ルールを壊したら存在できないという事です。大自然の存在があり、地球も太陽を中心に回っています。銀河系も1回転するのに2億4000万年かかって回っています。大自然の掟を否定したら成り立たなくなります。「終止限界の理法」は自然現象を現わすのに必要な理法です。私達がこの物質現象界へ生まれてきて終わりがあるという事は素晴らしい事です。地球にも、私達の体も区切りがあります。従って、春夏秋冬の四季にしても、一日の区切りにしても、一時間、一年という区切りにしても、全て「終止限界の理法」で成り立っています。「終止限界の理法」がなければ自然界の全ては成り立ちません。普通の細胞には区切りがあります。しかし、がん細胞には区切りがありません。細胞増殖が続いていき、区切りがありません。ですから区切りがあるから有り難いのです。区切りがないと大自然界は成り立たないのであります。区切りがあるからこそ有り難いのです。物質現象界の区切りがあるという事で、いろんな物質現象が行われる事の素晴らしさがあります。区切りがあるという事が判りますと、区切りの無いことがわかります。区切りがないというのは何かといいますと、形のない生命の方で、目に見えない生命の本質です。生命の本質は、永遠性であり、永遠なる生命の生きる感動をわざわざ区切りのある物質現象界で味わせてもらっているのです。出会いがあれば別れがあります。出会いが素晴らしければ別れも素晴らしいのであります。始めがあれば、終わりがあります。そのことがわかれば1死に対する恐怖がなくなります。2あらゆるマイナスのことを切ることが出来ます。3自分のマイナスの観念をプラスに切り換える事が出来ます。しかし、頑固に自分の観念を主張して切り換えようとしない人は別です。態度、言葉もよりプラスに積極的に行わなければなりません。こういうことから、人生の終わりの時、喜びと神感謝で迎える方がよいか、それとも恐怖と不安といらだたしさと苦しみで迎えた方がよいかという事になります。つまり、終わりがあるという事、終わりが無いと生まれても死なない事になります。映画が始まっても終わらない事になりますし、御飯を食べだしたら終わらない事になります。終わらないと苦しみになります。だから、終わる事は有り難いのです。私達が生きているのは、この物質現象界であります地球に旅行に来ているのであります。だから、人生劇場といっているのです。つまり、一人一人が役をもらって劇をしているのです。「終止限界の理法」は時々刻々と働いております。赤ちゃんも時々刻々と過去の姿に、お別れして現在の体に変化しております。結婚も「終止限界の理法」で独身時代の過去に終わりを告げます。自分の過去と「終止限界の理法」で別れ、けじめをつけるのです。小学生から中学生になったら区切りをつけます。しかし、困った事に最近、区切りがなくなってきているのが問題であります。「終止限界の理法」に逆らった生き方をしています。男性でも、自分が夫や父親である区切りをつけないものがあります。夫婦喧嘩でも、関係の無い、過去のことを持ち出して喧嘩しております。その時には「終止限界の理法」を使って終わりにしなければなりません。過去の事を持ち出しますと際限がありません。自分のマイナスの性格には、さよならして思い切ってプラスの方へ向かわなければなりません。面白い事に、夫婦のほめあいが続いているという事は聞いたことがありません。いい事には、思い切ってやらないのに、悪い事は、一生懸命やっています。「終止限界の理法」で切れ目が良い人は発展性があります。4,5歳の子供の愚痴をあまり聞いたことがありません。今泣いたカラスが、もう笑ったといいます。しかし、年を取ってきますと、愚痴が始まると長いです。なかなか、スパッと切り換えられません。「問題にしている人に、問題にしている分だけの、問題があります」ということで、切り換えが難しいです。切り換える時は、思い切ってやらなければなりません。「清水の舞台から飛び降りる」という諺どおりの気持ちで行わなければなりません。なかなか、決断の付かない人は「終止限界の理法」の弱い人であります。ぐずぐず悩んだ時に「終止限界の理法」を活用しなければなりません。理を活用するのは、実際の生活に当てはめて見ますと一つの発展があります。要するに、其の人の運命的な「徳」の力しか働きません。生きる生命の感動なしに生きても価値はありません。生きる生命の感動の為にあらゆる生存行為は行われております。あえて困難な事に挑戦して「終止限界の理法」を活用し、運命財産であります「徳」を高めて、地球が良くなる為の生き方を絶対なる神念をもって行わなければなりません。