ふたり目ちゃんの日本語が心配
兄のチビちゃんは、「ボクは何人か分からない」というスタンスを取っているのに対し、妹のふたり目ちゃんは、「私は中国人!」と言ってはばかりません。幼稚園の先生の言うことが絶対正しいと思っていて、家で母親が何か言うとすぐ、「だって、幼稚園の先生がこう言ったもん!」と口ごたえしたりします。仲良しの友達もたくさんいて、中国への同化度は、明らかに兄よりも高めです。兄よりも環境適応力が高く染まりやすいというのもあるかもしれませんが、兄より日本語力が弱いことも一因かもしれないと思っています。昨日も、「『水果(果物)』って日本語で何だっけ?」と兄に聞き、夕方には、「そろそろセーターを出さないとね」という母の言葉に、「セーターって何?」と聞き返しました。果物やセーターなど、基本的な語彙が分からないふたり目ちゃんを前に、「やっぱりほったらかしにして、 手をかけてやらなかったからかなぁ・・・」と反省しきりのつばめ。兄が小さい時は、つばめがそばにべったりついて、日本語で本を読んだり、遊んでやったりしましたが、ふたり目ちゃんは、上に手のかかる兄もいたし、つばめも働き出したしで、そういう時間が圧倒的に少なかった。そのせいか、ふたり目ちゃんが日本語をしゃべるときは、なんか焦って必死でしゃべっている風で、しかもちゃんとした文章になっていないことが多いです。それでもまぁ、つばめには日本語で頑張ってしゃべっていますが、頭の中は完全に中国語が優勢で、兄との会話はほぼ中国語になっています。兄のチビちゃんも当然中国語が優勢と思われますが、年の差を差し引いても、日本語力は妹よりずっとしっかりしており、語彙も圧倒的に多いです。小学校に上がってからは、中国現地校の勉強で手一杯ですが、小さい頃に多く日本語に接するよう心がけ、手をかけてきたことが、しっかりした日本語の基礎を築いている気がします。日本語で自分の思いを表現できるというところから、日本に対する親近感も湧いてくるというところもあるような気がします。ふたり目ちゃんは逆に、「お母さんはなんで中国語で言って分からないの!」と母を責めたり、ふたり目ちゃんの幼稚園のお友達の中国語の名前を何度繰り返しても母がうまく発音できないと、「違う!」と本気で怒って、涙を流したりします。自分が日本語でうまく表現できないというのもあって、母親はなぜ私の言う中国語が分からないんだ、なぜちゃんとした中国語が話せないんだ、と母を責める気持ちになるのでしょう。ふたり目ちゃんは自分のことを中国人だと思っているし、中国社会にはスムーズになじんでいく気がしますが、日本語のほうも少しずつ伸ばしていけたらなぁ~、というのが親の希望です。「明日、幼稚園からベイズと、トゥオシエと、シュイイーを 持って帰るんだよ」(※布団、スリッパ、パジャマという単語が 全て中国語になっています)などと言われると、本当にわが身を反省してしまいます。小学校に入ると現地校の勉強で忙しくなるので、それまでにもっと手をかけてやるべきだったなぁ、と思いつつ、兄は兄、妹は妹のそれぞれの状況があったのだから、その状況の中で育っていってもらうしかないよね、と怠惰な自分を許そうとするつばめなのでした(苦笑)。