カテゴリ:その他
じいちゃんが死んだ。
母方の祖父だ。 享年93歳(満91歳)。 ついこの間まで元気で、 畑仕事やら、入院しているおばあちゃんの看護まで していたというのに、死とはあっけないものだ。 家の者が祖母の看護で家を空けている間、 おじいちゃんはひとりで家で留守番。 叔母が戻ったときには、台所で倒れていたらしい。 「死ぬときはポックリ逝きたい」と言っていたという おじいちゃん、その通りになった。 その日の晩のフェリーで四国の田舎に帰る。 おじいちゃん、私が今年の正月に日本に戻ったとき わざわざ電話をかけてきて、 「わしも大連に連れて行ってくれ」 と懇願された。 「パスポートもないし、今大連は寒いから春になったらね」 って答えたのだけど、 「そんなときまで、わし生きてるか分からへん」 って、本当にすぐにでも大連に行きたい様子だった。 あの時はおじいちゃんも元気だったし、 まだ大丈夫だろうって思っていたけど、 本人的には何か予感のようなものもあったのかもしれない。 ああ、あの時、無理してでもおじいちゃんの 希望をかなえてあげたらよかったなあ。 おじいちゃんにお願いされたことなんて、 後にも先にも、あれ1回だけだったのに。 実は来週にでも、祖母の見舞いと、 おじいちゃんに会いに行くつもりをしていたのに、 間に合わなかった。 まだ元気でいてくれると思っていたのに。 日本に帰ってきて、すぐおじいちゃんに電話したら よかったのに、それもしなかったな。 後悔が心に苦い。 田舎の家に戻ったら、部屋でおじいちゃんが 眠っているように目を閉じて、横たわっていた。 「おじいちゃん、ごめんね」って言いたかったけど、 言えなかった。 そうこうするうちに、おじいちゃんは お棺に入れられて、ふたを閉められてしまった。 中国で買ったお土産を入れてあげたら、 「おう、ありがとう」 って、元気なおじいちゃんの声がした。 葬儀のとき、もう一度おじいちゃんの顔を 見ることができた。 このときは、これでもうおじいちゃんとも 会えなくなるんだ、と思うと、 涙が出るだけで、何も言えなかった。 おじいちゃんに謝りたかったのに、 言えなかったな。 ・・・と思っていると、もう一度顔を見るチャンスがあった。 火葬場で最後のお別れ。 「おじいちゃん、中国に連れていってあげられなくて ごめんね」 って、小さい声で言うと、おじいちゃんは 「まぁええわ」って許してくれた。 心の荷が降りた気がした。 後で後悔しないように 家族を大切に、人のつながりを大切に、 ということを、おじいちゃんが身をもって 教えてくれたのだと思う。 おじいちゃん、向こうの世界で 幸せに暮らしてね。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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