カテゴリ:中国生活
旧正月、「春聯晩会」の番組中、
何人かの「英雄」が紹介されました。 その中の一人は、何か人の子供を助けるために、 自分の子供が犠牲になったようで、 英雄としてこの栄誉ある場で紹介されたよう。 中国では、「春聯晩会」のみならず、 割合普段から、新聞やネットなどで、 自己を犠牲にして人助けをしたた人などを たたえる記事がかなり大きく掲載されたりします。 日本でも世のため人のために尽くす人を ほめたたえるということはあるかと思いますが、 中国のは、日本とはちょっと違う感じがして、 夫に尋ねてみました。 「この人は、人の子供を助けるために 自分の子供を失ったみたいだけど、 自分の子も助けられないで、何が英雄なの? かわいそうとは思うけど、英雄というのはわからない」 と話題を振ってみると、 「自己を犠牲にしてまで他人に尽くす精神には 頭が下がる」 というような答えでした。 「でもそれは結果論であって、 この人だって、まさか自分の子供が 犠牲になると知っていたら、 人の子を助けに行ったかどうか分からないのでは?」 といまいち腑に落ちないものを感じていると、 「これが中国の革命精神なんだよ」 と夫。50~60年代の中国人民は皆、 己の利益など考えず、真剣に人のため社会のために 邁進していたというのだ。 それを聞いて、 「お~、なるほど、そういうことだったのか~」 と、なぜ中国では己を捨てて人のため、 社会のために尽くすということが これほどまでに称賛されるのか、 今までの腑に落ちなさが 一気に解消したような気がしました。 もちろんそれは、今の中国社会では 強制されるものではないし、 ちょっと偽善にすぎるところもあるかもしれないけど、 そういう理想を持つこと自体は、 悪いことではないかもしれません。 四川の大地震の際にも、 日中の個人あたりの収入格差はまだ大きいにもかかわらず、 身近な人たちがみな、当たり前のように 何百元(数千~1万円ぐらい)単位で募金をし、 企業にいたっては、まるで競うかのように 何百元、何千万元もの募金を行っているのを見て、 なんだか不思議に思っていましたが、 この「世のため人のため」という「革命精神」が あるべき理想の姿として、今も市井の人々の心の中に 息づいているとしたら、それも納得できる気がします。 中国は当時からずいぶん変わりましたが、 そういうものを称賛する社会の雰囲気が今もあるのですね。 「でもね、あなたが人の子を助けて わが子が犠牲になったら、 私は一生あなたを恨むからね」 と夫に言うと、 「ボクはそこまでできないから・・・」 と一気にトーンダウンするわが夫でした。 ↓旧正月3日目、廟会(屋台や催しが出るお祭り)に出かけました。 P1140746 posted by (C)つばめ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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