カテゴリ:中国生活
つばめが働き始めて、
義父はひとりで昼食を取ることになった。 義父の話では、毎日麺を食べているらしい。 「たまには餃子とか、ご飯とか食べた方がいいですよ」 などと言ってみるが、義父、しらーっとしている。 義父にしてみれば、色々食べたい気持ちもあるのかもしれないが、 一人で好きな時に簡単に麺をゆでて食べるのも、 下手につばめに作ってもらうよりは 気が楽でいいのかもしれない。 夕食時も、義母の作った料理と違って、 私が作った(というか味付けしただけ)ものは、 遠慮してあまり箸をつけない。 ある日、前日につばめが味付けした ブロッコリー&レンコンサラダの残り物に 義父が箸をつけた。 つばめが、 「この味がお好きなら、今日ゆでたのも 入れて食べましょうか」 と言ったとたん、義父、 パッと箸を引っ込め、 「好きとかきらいとかじゃなく、 前日の残りだから、これ以上残さない方がいいと思っただけだ」 と弁明。 つばめの、「この味が好きならどうぞ食べてください」 という、日本人としてはごく普通の言葉なのだが、 こう言われると義父は却って箸をつけられなくなるようなのである。 ひとつには、義父には、つばめが作ったり味付けした料理は、 基本的に子供のために作っているもの、というひねた?意識があり、 どうもは箸がつけにくい模様。 プラス、これは年配の中国人に共通する部分もあるかもしれないが、 自分が「食べたい」という意思表示をすることは はしたないという思いがあり、 食べたくてもつい「いらない」と口が動くし、 「好きでしょう?」と勧められたら、「いや、別に」 と、つい断ってしまうところがあるのである。 そんな義父に食事を勧めるには、 「もう余って誰も食べられないから、 しょうがないから食べてもらえるとうれしい」 と言われるのが一番食べやすいよう。 (日本人感覚からすれば、残るから食べてというのは 失礼な気がするのだが) 私たちがまだ食べたいという雰囲気であれば、 義父はそれをおして自分が食べるということが どうもはばかられるようである。 そういうわけで、義父はいつも控えめに食べ、 私たちが食べ終わるのを待っていることが多い。 残ってはじめて、思う存分食べられるのである。 しかし、義母が食事を作っている時は そうではなかった。 義母が一家の長として義父を立てていたのもあるし、 やはり、義母が自分のために食事を作っている ということを感じていて、その義母の愛が、 義父に思う存分食事をさせていたのかもしれない。 そう思うと、今の義父がかわいそうでしょうがないが、 「食べて」と言うと食べないのだからしょうがない。 せめて、義父のお腹の膨らみ具合を察しつつ 多めに残すようにするのが、私達にできることだろうか。 義母のいない生活にも一応慣れたようにみえる義父だが、 義母を亡くしてはじめて、 義母の愛情の深さを生活の折々で しみじみと感じているのではないかと思います。 ↓ホワンホワン 照片 465 posted by (C)つばめ 照片 466 posted by (C)つばめ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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