カテゴリ:バイリンガル教育
つばめは、中国人と日本人の間に生まれてきたわが子に、
両方の言葉ができるバイリンガルになってほしいと 思ってきました。 しかし最近、それは単なる親のエゴなのかな、 と考える時もあります。 両方の、というより、自分自身の持つ言葉(日本語)や文化を 子供にも身につけさせたいというつばめの親としての思いは、 ほとんど本能的なものじゃないかと感じています。 ここで白状しますが、はっきり言って、 中国語は、理性では子供の第一の言語として 身に着けさせるべきだとは思っていますが、 気持ち的にはわが子には中国語ではなく日本語を話してほしい、 子供が日本語を話すとうれしく、 中国語を話すとなんだか面白くない気分になったりするのは、 本能的に子供を自分と同じように育てたいという思いを 持っているからだと思っています。 中国語を話すわが子は、なんだかわが子ではないような 一抹の寂しさや、自分とは違うのだという違和感を感じるのです。 つばめは、実は自分のそんな本能を満たすために 子供に一生懸命、日本語を身につけさせようと してきたのかもしれません。 もちろん、両方の言葉ができれば、 子供の将来に大きくプラスに働くだろうという思いも 同時にあるわけですが、最近はそれもどうなんだろうと 思うつばめです。 昨今は人工知能(AI)なども日進月歩の勢いで発展していますし、 わが子が大人になる頃にはきっと、高精度な翻訳・通訳ツールが 人々の生活にごく当たり前のように普及し、 生身の人間の翻訳、通訳に頼る割合は 大きく減少していることが考えられます。 そのようなツールによって言葉の壁が取り払われた後に残るのは、 やはりその人の人間力そのものでしょう。 両方の言葉ができるというのは、確かにプラスではありますが、 ものすごく決定的なメリットというわけでもなく、 その人の様々な面の一部を占めるにすぎないということは 忘れてはいけないな、と思います。 つばめの周りにバイリンガルの人も何人かいますが、 別にバイリンガルだからといって、 ものすごく特別な生活をしているわけでもありません。 また、バイリンガルとまでいかなくても、 2か国語を割合自由に操る人なんてゴマンといます。 というわけで、冷静に考えれば、 子供に読み書きまで含む高いレベルで 両言語を身に着けさせることに それほどまでにこだわる必要はあるのか、 もっと人としての力というのか、 そういうものを伸ばしていくことを心掛けることが 子供にとってより必要なことなのではないか、 とうすうす感じつつ、ふと気付くと、 つい子供に日本語を身につけさせようと あれこれ画策している自分を発見し、 苦笑いする毎日です。 いくら理性であれこれ考えても、 結局、実際のつばめの行動を決めるのは「感情」のようで、 理性がほとんど役に立っていない 本能任せのつばめの子育てなのでした。 ↓ふたり目ちゃん、ダンスクラスで。 IMG_6982 posted by (C)つばめ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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