カテゴリ:バイリンガル教育
この間、
「うちの子供たちは日本語の本は自分で読むが、 中国語の本はあまり読まない」 と書いたところ、 「(中国で生まれ育ち、中国現地校に通っているのに) 日本語の本を読むなんてすごい」 とコメントくださった方がいましたが、 うちの子供たちにとって、学校教育を受けているほうの言語である 中国語の本をほとんど手に取らないということは、 国語(中国語)力の成績の伸びへの影響は必至。 中国語は純中国語環境のご家庭のお子さんに比べて やはり遅れていると思わざるを得ません。 特に読解や作文で否応なくそれを感じさせられる今日この頃。 様々なインプットによる中国語の語彙力・表現力といったところが 不足しているためか、教えられたことの丸覚えはできても、 応用がききません。 言葉は結局、日々の積み重ねですね。 人は誰も1日24時間という決まった時間の中で、 ひとつの言葉に触れる時間が長ければ、 もう一つの言葉に触れる時間は短くなる、 そして、触れる時間にほぼ比例した言語力になっていく、 そういう感じがしています。 うちの子の場合、毎日現地校で国語(中国語)の授業があるわけですが、 家で読む本の大半が日本語なので、読み書きについては、 総合すると日本語に触れている時間のほうが多くなっているという 感じでしょうか。 モノリンガルの場合、学校でも、家でも、 24時間統一してひとつの言語に接しているわけですから、 2つの言語に接しながら育つうちの子たちは、 どちらの言語の読み書きも、モノの人並みとなるのは かなり難しいと思っています。 (会話はほぼ大丈夫かもしれませんが。) 子どもを日本語寄りに育てるなら、家で日本語の読書環境を作り、 日本語での読み聞かせも続けるのがよかったのでしょうけど、 うちは下の子が小学校入学以降、日本語の読み聞かせをほぼやめました。 理由は、子どもの第一言語は中国語と決めて、 中国現地の学校に行かせたはずなのに、 家で必死に日本語環境を作っていることが 第一言語である中国語の伸びに影響しているようだと気づいたからです。 人並みの中国語力があったうえで、オプションとして日本語もできる、 我が家はそういうふうに考えていたのに、 考えていたこととやっていることがずれていたことに気づきました。 これでは本末転倒になりかねないと思い、 中国語のフォローのために夜の読み聞かせを中国人夫にバトンタッチ。 しかし、夫は最初こそ熱心に中国語の本を読み聞かせていましたが、 次第に読み聞かせをせずただ寝かしつけるだけの役になってしまい、 せっかく日本語の読み聞かせを犠牲にして夫にバトンタッチしたのに、 結果は、中国語の読み聞かせもたいしてせず、 日本語での読み聞かせの習慣も消えてしまい、 以前は毎日「読んで、読んで」と日本語の本を持ってきては せがんでいた子どもたちでしたが、 ほとんど「読んで」と言わなくなりました。 それでも上の子は小学校低学年まで毎晩日本語の本を読み聞かせたので、 自分でも読むし、小5の今になっても、 時々「読んで」と自分の好きな本を持ってくることがありますが、 小学校に上がるか上がらないかで母の読み聞かせがなくなった下の子は 自分で本を読むことも兄ほどは多くなく、 日本語の本を「読んで」と持ってくることは皆無になりました。 こんなことなら、夫にバトンタッチせずに、 子どもが「もういらない」となるまで 日本語の読み聞かせを続けてやればよかったな。 とはいえ、子どもたちにとって学校の全教科で使う言葉でもある 中国語が大事なのは変わりませんので、 本棚の一番目立つところに中国語の本を並べていますが、 子どもが手に取るのは、やっぱり日本語の本。 日本語の本は、つばめが子どもの興味に合わせて選んでますし、 図書館などで常に新しい本を借りてきたりしているので、 子どもとしてはやっぱりそっちのほうが面白いのです。 もともと日本語の活字の方が読み慣れてますしね。 もしどうしても中国語の本を読ませたければ、 日本語の本を撤去するのが一番の方法かもしれませんが、 そこまでなかなか思い切れない中途半端なつばめです。 (結局、つばめは理性では中国語が大切と理解してはいても、 心の奥では、子どもに日本語の本を読ませたいのです。) それで、うちの子供たちの日本語力はというと、 家で少々日本語の本を読んでいるからといって、 日本の学校教育を受けている子ども並みの日本語力があるかというと もちろんなく、会話での意思疎通自体はほぼ大丈夫ですが、 相手や場面によって敬語を使ったり、といったことは難しく、 読むほうはそれなりに読みますが、どのぐらい分かっているのかは不明、 日本語での作文はかなり困難です。 どうするのがベストという単純な答えもないので、 このまま自然体で、とは思っていますが、 中国語の遅れ、日本語の遅れ、どっちも親としては心揺れます。 子供が健康で明るく育ち、社会で自分なりの居場所を 見つけていってくれればそれでよくて、 本当は言葉なんて二の次だとは思いつつ、 どうしても子供の言葉のことを考えずにはいられないつばめです。 時々『私も移動する子どもだった』などを読み返して、 自らを励ましたいと思います。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2020/02/18 12:05:57 AM
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