国際理解教育と対処療法
今週末2日間、NPO教育支援協会主催の「小学校英語指導者資格取得研修講座」(長いな)を受けてきた。あたしは中学のときから教育って分野に関心があって短大でも教職を選考したんだけど、結局教師になっていない。正直、あたしは教育する人間ではなくて教育される人間だと思ってしまうのだ。教育者になる自信も覚悟もないし。でも結局未だに興味があって、こんな講座受けたりとかしてる。今回いろんな個性豊かな講演者が来て、貴重な話をたくさん聴けた。「教育とは何か?」「コミュニケーションとは?」「小学校英語とは?」「英語学習法とは?」etc, etc...正直詰め込みすぎで頭が飽和状態。そんな中で、最近の日本の事件などを思い起こさせる内容もあった。「国際理解教育の現状と課題」。例えば中学校の世界地理の教科書。現在具体的に取り上げてられている国は、たった3カ国らしい。アルプスを「ハイジが走り回っている・・・」と紹介していると言うから、もうギャグの領域。全く現実社会の事実が認識できない内容みたい。海外情勢に疎い日本人を責めるなら、まず教育から見直すべきでは?英語だって、どんどん韓国の教育に追い抜かれている。他国のほとんどが早期からこうした教育を行っているのに対し、日本はかなり遅れをとっている。正しい情報を認知するには、英語を含めた国際理解教育を早期から本格的に行うことがとっても重要。また、生徒の学力低下、体力低下、校内暴力や不登校などの問題発生に対して常に批判することから入り、結果的に対処療法の対策になっているみたい。「対処療法」って例えば癌に対する放射線治療でもあるし、身近なところで言えばリフレクソロジーもそうなんだけど、これをやって表面的なものだけを取り除いたところで、根本的な解決策にはならない。出たら消す、出たら消すの繰り返し。その結果として、最も重要な部分が先送りされてしまうらしい。例えば「トイレが汚い中学校」は、たいがい荒れているらしい。癌で言うと生活習慣やストレス。リフレクソロジーで言うと歩く姿勢や靴。これらの改善なくして問題解決はありえない。これって世の中についても同じことが言えるのでは?今回の人質事件、小泉首相が「テロには屈しない」と切り捨てたことにいろんな意見がある。藤原新也さんという方のブログで、このような恐ろしくもっともな意見があって考えてしまった。「・・・災害現場での日本人記者のとつぜんの質問に「テロには屈しない」吐き捨てるように言い、そのままそっぽを向いて歩きはじめたのである。しかもその姿は手軽な作業服のままだった。かりに小泉首相が言うようにそれがテログループであったとしても、彼らは儀礼的な姿で小泉首相に声明を出したのである。それに対し、ほとんど犬猫をあしらうような姿(着衣)と態度で声明を唾棄したこの一瞬、ほぼ証生君の処遇と運命は決まったと言える。・・・・・・一人の日本人は考えうる限り、最大限の恥辱の姿で殺されたのである。彼にあのとき、記者のイレギュラーな質問に対し、ちょっと待てとそれを制し、官邸に帰ってのち、あらためて彼が衣服をフォーマルなものに着替え、日本人記者団に向かってではなく、グループに向かって、なぜ私たちがイラクを撤退出来ないのかを(かりに彼らがそれを欺瞞と受け取るとしても)説明すべきだったのだ。・・・」彼は、こうした態度を取る首相を「『世界』というものをあまりにも知らなすぎる。」とバッサリ指摘してる。アメリカ大統領選の前に「ブッシュ大統領とは親しいからね。頑張っていただきたい」と主観的、個人的な意見を公然と口にする首相。ある雑誌に「今回小泉首相はラッキーだった。世間の目は台風や震災のニュースに向いていた」というような誰かの発言が載っていて、なんだかとてつもなく恐ろしくなった。今回自衛隊が撤退しなかったことを57%が支持していて、支持する理由の62%が「危険を承知で入国した責任は免れない」ということらしいけど、問題はそういうことじゃない気がする!責任責任って、なにか違ってる気がする。表面的なことへの批判が多く、肝心のところが注目されていないんじゃないかな。きっとまた似たようなこと繰り返すよ。これからの日本はどうなっちゃうんだろう?そして、そういう私も世界情勢や政治に疎い一人。。次の世代に国際理解を教えるのには、まだ修行が全然足りない。でも今後世界をまともにする行為の一つに、たとえ小さくても関われたらなって思った週末でした。