|
カテゴリ:カテゴリ未分類
「責任」とは、どういうものでしょうか? 実はこの言葉と概念は、明治時代に海外からもたらされました。江戸時代までの日本には無い概念、無い言葉だったのです。 そしてどうも「responsibility」という言葉と概念を明治時代の先人は、ちょっと誤訳しちゃったようなのです。 「responsibility」には、「責める」というニュアンスは全くありません。でも、自己責任は詰め腹を切るモノと思っていた日本人が、勝手に「責める」というニュアンスの「責任」にしちゃったのです。 responsibilityとは、レスポンスつまり反応をし続けるという意味合いです。失敗したら責められるという意味合いではないのです。 そう。私たちは、私たちの人生に、自分の課題に、責任を持ち続けるのです。自分を責める必要はないのです。失敗したとしても、自分を勇気づけて、あきらめずに何度でもチャレンジし、責任を持ち続けましょう。 それが、人生を幸福に生きていく一つのコツなのです。 責任転嫁はしない方がいいです。 例えば、誰かがとんでもなく迷惑をかける行動をしたとします。例えば、仕事の同僚Aが大事な顧客からの連絡を忘れていて、顧客に迷惑かけたのに、あなたの問いかけにしらばっくれたとします。不誠実な行動です。 それに対して、あなたが腹を立てて、「Aが俺を怒らせた。」と思って、怒鳴りつけたとします。 この「Aが俺を怒らせた」という考え方は、責任転嫁ですし、怒鳴ったのも、自己責任です。 この「あいつが悪い」という定式の責任転嫁は良く行われます。私もよくしていました。責任転嫁の天才だったので。 ですが、アドラー心理学は「精神的に健康になりたかったら、幸福になりたかったら、一切の責任転嫁は辞めましょう。」と 提案します。 アドラー心理学は、自分たちの提案が絶対の真理だとは思っていません。むしろ、絶対の真理なんか人間には分からないいんじゃないか?とさえ思っています。 というよりも「とりあえずこうすると、幸せになれるという報告も数多くあるし、そうした方がいいと思うけどね。」というとりあえずの方法論にすぎないと思っています。 私自身、責任転嫁をやめて、自己責任を以前よりも意識するようになって、幸せになりました。まあ、お勧めです。 怒りや全ての感情は本人の責任です。これを責任転嫁している間はコントロールできません。 私は、不誠実な態度をとったA君を懲らしめたくて、怒りを作り出して、怒鳴ったのです。 この私によって創り出された怒りは二次感情で、この二次感情の一次感情はたぶんA君の不誠実な態度への落胆、ガッカリです。 私は、「怒りを使って使って怒鳴ってA君を懲らしめる」という方法以外の方法をとることができます。 例えば、私メッセージを使って仲間であるAくんにメッセージを送ることができます。 「そうやって、連絡を忘れて顧客に迷惑をかけたのにそれを認めないなんて、キミを仲間として信頼している僕は悲しいよ。がっかりだよ。僕も一緒に謝りに行ってやるから、ちゃんと自分のミスは認めないか?人間だからミスをすることはあるさ。でも、ミスをした後の態度で人間性が問われると思うんだけど、どうだ?」※私メッセージのやり方を詳しく知りたい人はELM勇気づけ学習会を受講するか、カウンセリングを受けて習ってください。 このメッセージが、A君の行動変容に役立つかどうかわかりません。どうするかはA君が決めるからです。A君の責任の下で。しかし、怒って怒鳴るよりもずっと人を勇気づけるメッセージだと信じています。 責任転嫁して怒って怒鳴る必要などどこにもない、とアドラー心理学では考えるのです。 他者以外に責任転嫁してしまいがちなのが、他に、 1:成育歴や生まれつきの原因のような、過去の原因のせいにする 2:特定の個人ではなく社会や人々のせいにする 3:感情や衝動のせいにする 4:人知を超えた存在:運命や悪魔や神のせいにする などですが、全部お勧めしません。 多くの心理学や精神医学では、精神的な病、例えば神経症の人が責任転嫁をするのを助長してきました。 例えば「この人が社会不安障害になって引きこもってしまったのは、3歳から6歳の頃の母親のスキンシップが足りなかったせいだ。」 と原因を示してくれます。(アドラー心理学が原因論を使わないのは自己責任を阻害するからでもあるのです) 私たちアドラー心理学を実践している者たちは、スキンシップの足りなかった影響は多少あったかもしれないけど、それは影響にすぎなくて、 社会不安障害と呼んでいる症状(アドラー心理学はこういうレッテル張りはあまり好みません。一人一人がユニークだと思っているので)を作っているのは本人だから(責める意味は全くありません)、 本人に克服可能だと思っています。 これが過去の成育歴の原因でそうなったのだと思い込んでしまうと、本人には克服不可能だということになってしまうのです。 自己責任を避ける責任転嫁は一見優しそうで、まったく優しくて冷たいのです。 「自分の責任だから、自分で克服可能だよ。」という方向性の方がずっと愛があると思うのですけど、どうでしょう? 自他を責めたりせずに、人の尊厳を認める「自己責任」を身につけてみたいと思いませんか?
全国どこからでも電話カウンセリンできます お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2020年04月04日 13時52分27秒
コメント(0) | コメントを書く |
|