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先日、母が亡くなりました。
本人と、家族の希望で、気管切開をしなかったので 最期を心配していましたが、眠るようにして逝ったそうです。 逝った母は、まるで笑っているようでした。 お棺に入った時に、葬儀の人が用意していたぞうりを履かせてあげたのですが、 何年かぶりにお化粧をして、白い着物を綺麗に着て、手にはお遍路さんがつけてるみたいな 手のカバーみたいなやつをつけて(あれは何ていうのかな)、少し笑っているような母が草履を履いているのを見ると、 「あぁ。やっと自由になれて、飛んでっちゃうのねー」って、ちゃんと送り出してあげなきゃ、って気持ちになって、その後、告別式が終わるまで、我ながら結構頑張りました。 亡くなってから、お骨になるまでに少し時間があったので、 何度か「お疲れ様」を言いましたが、そんな少しの言葉では労いきれない程、耐えたり、もがいたり、の闘病でした。 だから、少し笑っているような母を見て、心の底から良かったと思います。 死んでよかった、とは全然違って、「病気の私なんて、私じゃない」といわんばかりに、全然受けいれられなずに苦しんでいたので、その重たい鎖が取れて笑っている姿は、私達には嬉しいものでした。 (でも母がこれを聞いたら、なんかいちゃもん付けられそうですが) 祭壇の写真は、発病していたけど、まだ元気に笑って食事をしている時のものでした。 でも、その後のしんどかった時があまりにも長かったし、強烈だったので、今はまだ、病気の母のイメージしか思いだせずにいて、元気な母はどんなだったっけ?って、イマイチ上手く思い出せません。 これからゆっくり、今まで見る事が出来なかった、元気な頃の母の写真を見て、元気な母、本来の母を思い出してあげないと、と思っています。 その前に、四十九日までもうちょっとあるので、それまで出来る事をしてあげたいと思います。 (それにしては、お経もちゃんとよんでないなーf^_^;) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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