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テーマ:闘病日記(4014)
カテゴリ:じいじが腎不全
腎臓ガンを患い、腎臓を切除した為に、一方の腎臓だけでは機能できず、腎不全になり、人工透析と言われながら、母の献身的な食事療法で、奇跡的にやらずにすみ、食べることがが何より好きだった父も、物足りない味気ない食事を我慢し続け、頑張っていたのですが・・・。いっきに数値が悪くなり、もう人工透析だと言われた矢先、胃ガンと判明。余命1ヶ月で亡くなりました・・・。
ちょうど1年前のことです。くしくも、両親の結婚記念日に旅立ちました。 まだ、72歳。まだ早すぎる別れでした。 母もこれから二人でのんびり老後を過ごすつもりだったのに・・・と。 まったくガンの兆候もなく・・・。 でもさすがに、お腹が痛く病院へ。 腎不全で通っていいる病院で言ったら、お腹の薬をくれただけ。 それでもおかしいので、近所の大学病院へ。 本人、「お盆休みになる前に行っておく」くらいの軽い気持ちで。 ところが、即緊急入院。 検査の結果、胃ガンと判明。 もう、手のほどこしようがありませんと・・・。 他臓器にも転移していますと・・・。 腹膜性ガンもあり、あちこちにまきちらかすらしく。 頭真っ白。 本人に伝えますか? 家族で話し合いました。 父なら、受け止め、最後を全うするだろうと。 本人も冷静に受け止めました。 そして、入院していても、痛み止めだけで、治療することがないので、退院することに。 でも、母はいつどんなことがおきるか不安。 他の病院も探したけれど、やっぱり、最後は自宅が良いだろうと、 万が一の状態の時に備えて、病院を確保しておき、 自宅療養で在宅看護を頼みました。 看護師さんが一日おきに来てくれて、お医者さんが1週間に1回来てくれました。 動けなくなった時のことにそなえてというより、お医者さんが診やすいようにと、介護用ベットをレンタル。 最後にできることをやったほうがいいと言われ、家族旅行をしました。 痛くて辛そうでしたが、毎年恒例の家族旅行に行けて、良かったです。 1歳を迎えた娘もじいじとの思いでを作れて良かったです。 でもホントに最後までしっかりしていました。 介護ベットなんて必要なかったくらいに。 そして、だんだん脳のほうにもガンがまわっていったのか・・・。 焦点が合わなくなってきて・・・。 寝るのが怖くなり・・・。 みんなに見守られながら、安らかに逝きました。 わかって1ヶ月。 早すぎる別れでしたが、 母も姉も私も、介護が長引いたら、つらかったと思うので、それは父の最後のやさしさだったのかもしれません。 それに、最後の覚悟もできたし、やることはやれたし。 父も思い残すことない人生だったと。 それが一番。 それに、下手にガン治療をして苦しい思いをすることもなく、辛い思いをすることなく逝けてよかったと思います。 もちろん、治る可能性があったのなら、治療をしただろうし、頑張ったけれど・・・。 でもね、ひっかかること。 父が腎不全で通っていた病院。 しょっちゅう、検査やっていいたのに、なぜわからなかったのか。 父のきょうだいからも言われてしまい・・・。 それは腎臓機能だけの検査であり、他の機能はやっていなかったから。 でも、今回行った大学病院で聞いた話では、腎臓を患っていると、ガンになりやすいと。 そんなことわかっていたら、こまめにガン検査したのに!! それに、先生もすすめてくれればよかったのに!! 母はいまだに、やる気がでず、もぬけのから。 お出かけに誘っても「そんな気分になれない」と。 いつも夫婦一緒に散歩していた散歩コースをひとり歩けば涙が流れ・・・。 父が世話していた庭の手入れをしながら涙が流れ・・・。 テニスをやっている母は、友達に引っ張られ、なんとか参加するようになったけれど。 私は二人姉妹の末っ子。 父は男の子が欲しかったらしい。 そんな父に唯一出来た親孝行は、男の子を産んだことだろうか。 全部で5人の孫の唯一の男の子。 はじめての孫が男の子で、それはもう大喜びしてくれかわいがってくれた。 そんな長男の成長をもう少しみてもらいたかった。 まだ小学生の息子に「太郎はビッグ大学に、じいちゃん家から通うんだよな!!自転車で行けるぞ」と、近所に大学キャンパスができたので、うれしそうに話していた。 8年後、それも夢ではなかったかもしれないのに・・・。 「いのち」が喜ぶ生き方 [ 矢作直樹 ] 【新品】【本】いのちの詩 江原啓之/著 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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