傷つく権利を奪わないで!
先日、実家の父から娘にハガキが来た。ハガキだったから、読んでしまったんだけど、何と「定期テストで、10番以内に入ったら、5,000円あげる。」と言うハガキなのだ。信じられない。父は私達が子どもの頃、とっても質実剛健なストイックなしつけをして、何かにご褒美をもらうなんてとんでもないことだった。おとなになって、「あれは父の本当の価値観じゃなくて、父親としてそうしていたんだな。」と思うこともいくつかあった。それをいちいち責めようと思うほど、子どもではない。孫のかわいさというのは、無責任でいい時だけ・・・というのも、それはそれがじじばばのよさだろうと思う。でも、でも・・・ちょっとこれはあまりに露骨。実はその前の前のテストで娘はクラスでビリの成績だった。ビリの方じゃなくて、後ろに一人もいない「ビリ」だった。さすがのおかちも、ビックリしたけど、同じレベルの子達が集まってきている高校で、ちょっと点を落とせばビリへの距離は近いのは当然。それに何より、その結果に娘は平気でいたわけではなく、かなりのショックを受けて、その次のテストの時には本当によくがんばって勉強していた。もちろん、もっともっと勉強している人はたくさんいるだろう。 でも、娘は自分の生活の中に、自分で優先順位をつけて、時間を一生懸命切り盛りして、勉強しようとしている。部活への情熱を保ちつつ、何とか勉強もしようとしている。 おかちは、生きていくために本当に必要な事は、そうやって自分の中で選び取ったり、組み立てていく力だと思う。娘のビリの事は父にも話したから、父は心配していたのだろう。前に、息子に同じようなえさをちらつかせたと言っていたので、一人だけにやるのは不公平だと(何が不公平なんだか・・・)思ったのだろう。年寄りは余計な心配をするものだから、怒るな! と父は言うけれど、おかちはすごくいやだ。お金でつることについては、娘も息子もちっともつられる気がないから、無駄だから別にいい。 でも、こういうことって子どもに失礼だとおかちは思う。子どもは子どもなりに、自分の体験をかみしめて、考えているのに、横から「何かあげるからがんばれ」って言うのは、本当にその子を馬鹿にした失礼な事だと思う。そして、父はとても頭のいい人だし、父の二人の娘も基本的に学校の勉強はできたけれど、クラスでびりになった娘が、10番以内になるためにがんばるということは、5,000円ほしくてできるレベルのことではない。もしかしたら、絶対にできないかもしれない。それもすごく、失礼だと思う。そして、きっと娘はおかちの父を「自分の気持ちを無視した失礼なおとな」と、一瞬ではあっても思っただろう・・・と思うと、それがまたすごく情けなかった。娘にはそんなことは言わなかったけれど、娘の方から「あたし、もしも、もしも10番以内になる事があっても絶対にお金もらわない。お金のためにがんばったなんて思われるのいやだもん!」と言う。その通りだよ。おとうさん、しっかりしてよ。でも、こういうことってすごく増えてる気がする。子どもが経験した何かの結果を、子どもなりに受けとめて、考えようとしているのに、横からさっとおとなが出てきて、「この結果はこういうことで、この点がまずかったからこういう結果になったわけで、今後はこんな風にしていけば、こんな風になれるわけだ。いい? がんばるんだよ! 失敗した事は、今更責めたりしないから。」・・・なーんて言って、全部取り上げちゃう。実は、前回の日記に書いた息子のマラソン事件でも、即座にこのおとなの取り上げがはじまった。ゴールするなり息子が夜走りに行っている会のコーチと、熱心なおかあさんが駆け寄ってきたそうだ。「どうした」と言うから「ふらついて電柱にぶつかった」と言ったら、「それは貧血だ。」と言って、二人がかりで息子のまぶたをめくって、「ああ、ちょっと白いからこりゃあ貧血気味だね。」・・・と。そして、私はショックも覚めやらないうちに、その熱心なお母さんに呼び止められ、「あれは貧血だから、○○のプルーン剤を飲ませたほうがいい。実力はあるんだから、そうやって補ってやらないと、本人がかわいそう。貧血のせいだったんだからしょうがないって、本人にもなっとくさせてやらなきゃ。」とかなんとか、いろいろ言われた。次の夜の会に迎えに行った時も、コーチに言われた。「普通の運動量とちがうから、そういう栄養の事も勉強していかないと、走るだけでは体ができないんですよ。」・・・とか。みんな、息子の走りを評価してくれ、期待してくれているからこそだとは思う。でも、おかちはやっぱり、息子に対してすごく失礼だと思った。このショックを何日間かひきずって、味わう権利は息子にある。何で勝てなかったのか、努力なのか、体調なのか、事実なのか、いいわけなのか。自分であれこれ考え、自分を見つめる権利は息子にある。いろんな人のアドバイスを聞いて、考えて決めるのは息子の仕事だ。体を作ることが大事だと思ったら、それを勉強するのは息子の仕事だ。それを最初からきめつけて、息子をとばしておかちに振るのは、息子の力をバカにしている。こういうおとなの対応に慣れきっている子どもたちが、おかちはものすごく心配だ。結果だけはついてくるから、自分にはその事をちゃんと考えて、結果を出す力があると子ども自身が誤解している。そして驚くほど、挫折に弱い。辛抱ができない。結果の出ないものに耐えられない。どんなにネット社会が発達しても、これでは生きていけない。生活するということができない。とてもとても心配だ。