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2023年6月4日(日曜日)午前7時55分頃。ウーバーイーツの配達中。 『ドスン!』とアイスピックで突き刺されたような鈍痛が背中に走った。 今まで経験したことのないほどの強烈な痛み、一瞬で顔から血の気が引き冷たい汗をかき始めた。 この痛み、どこかの情報サイトで以前調べた記憶がある…。 それは12年前、母親を突然この世から連れ去った『急性大動脈解離』の初期症状に近いことを思い出した。 今まさに、その病が自分の体を襲い、死が差し迫っている事を理解した。 急がなければ死んでしまう! 先ず、配達中の荷物は目と鼻の先に置き配であったので瞬時に完了することができた。 スグ119番に電話。 この時はまだ痛みに耐えながらも運転は出来る状態であった。 状況を説明しながら近くの駐車場に車を移動させSOSのコールを続けた。 救急車到着まで、以前情報サイトで調べた記憶を遡る、病院に到着するまでに死亡する人が半数、そこから手術して助かるのが半分。 つまり3/4で(75%の確率で死ぬ)。 もうここで俺は死ぬのか・・・。 明日死んでも構わないと、やりたいことだけやって自由に生きてきた人生だから悔いは無いと思っていた。 そんな事を頭で考えているときに救急車のサイレンの音が聞えてきた。 ここで死んだらもう誰にも会えないんだな~ 次第に遠ざかる意識の中、子供達の顔をもう一度見たいと思った。 まだ見ぬその孫達にも・・・ 死にたくないという強い思いが湧き出てきたまでは良かったが、そこから地獄のような痛みが背中をかけめぐる。 いままでズキンズキンと1か所に留まっていた痛みは、その場所を変え移動を始めようとしていた。 それは大動脈の血管が避け、破裂の一歩手前の症状に移行していく段階であった。その痛みは強烈で背中に刺さったままの アイスピックをそのまま横にスライドする様な感覚、激痛を超えたその痛みで私は救急車の中で意識を失ってしまった。 次に目が覚めたのは、救急病院の中、痛みを抑えるための麻薬を2本打たれ意識が朦朧となりながらも医師との会話は辛うじて出来る状態ではあった。 この時にツイッターに急性大動脈解離緊急手術の文面を送ったと記憶している。 死ぬ確率が高いから?様々な同意書にサインを求められたが、そんな状況で冷静に考えれるわけもなく言われるがままにサインをし緊急手術が開始された。 手術台にに乗せられた所までは記憶しているが、次に目が覚めたのは50時間以上経過した集中治療室の中だった。 目が覚めたことは何となく覚えてはいるが、全身は管だらけかつ、言葉もろれつが回らない状況、とにかく喉が渇いて水を欲していたが、水は飲ませてもらえず、 ただひたすら天井を見つめ生きて帰ってこれた事は認識できた。 さらに手術中、人口血管に置き換える術式で心臓が90分停止していたらしいが 人は死ぬ直前にお花畑や三途の川を見ると聞いた事があったが、そういった類のものは一切見なかった。 死んでもおかしくない状況で助かったのは、奇跡や偶然が重なったからなのか? 【助かった要因】 ・日曜日の朝で交通量が少なく病院まで早く到着できた事。 ・配達完了目の前であったこと ・大動脈解離の初期症状を把握し、119番の段階でその症状と断言できた事 ・事前情報で適切な心臓血管外科のある救急病院に搬送された事 とまぁ、色々と思うところはあるが、後遺症もなく今現在手術から1か月が過ぎ去ろうとしている。 開胸手術をしているので身体の負担が大きく、何をするにも息が切れる状況…。 日常生活に戻るまでは、これから先、色々なハードルや乗り越えていかなければならないことは沢山あるのだろうけど、先ずはこの助けてもらった命を大切に生きていこうと思います。 と、まぁこんな事が先月に起こりました。 このブログは死ぬまで続けていく予定なので、死にかけはしましたがw まだ生きてるのでこれからもこのブログは続けていきます。 それでは今日はこの辺で
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