金はこの世で生きるにあたって必要なものだ。
あればあったに越したことはないけれど
私は別段、大金持ちになりたいとは思わない。
(宝くじの一枚買いだけは楽しいので別。)
FX、デイトレード、株取引、通貨売買、金融、運用、
その類で儲けているひとは「頑張るなあ」と思う。
でも私自身は、見えないお金に興味がない。
言ってしまえば未だに、気味が悪いとさえ感じている。
私は翻訳をしているから、文章を書いているから、
「やった」ぶんだけの「報酬」が、
互いに納得のいく額でやりとりされればそれで十分なのだ。
逆さに言えば、書いたぶんしか貰いたくないのだ。
ただし、1文字/1単語いくら、のカゴ盛り換算もされたくない。
歌詞でもコラムでも論文でもCMでもなんでも、
書いたものは書いたものとして、作品として、値づけしてほしい。
なんとわがまま。
がしかし、だからこそ自分の文字や言葉の質をあげてゆきたいと思うし、
自分を認めて、用いてくれる人を増やしたいと考える。
どこかの誰かの金を使って、
あるいは、他人の損得を見越して金を得ることは
なぜだろう、生理的にか本能的にか、背理的だと感じてしまう。
だから私は、「手」で「足」で働く人を常に尊敬する。
何かを作ったり、育てたり、直したりする人たちを。
決して裕福ではなくとも、美しく映る。
見えないお金で回っている世界は、薄気味悪い。
見えないお金を回している人達も、本当は怖い。
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Last updated
2009/09/23 06:22:48 PM
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