今日までで、26歳が終わる。
故郷広島へのフィット、家族暮らしへのフィット、
新しい居場所探しと、旧い関係の復活、
そして翻訳と、体の管理に明け暮れた一年。
どれだけの言葉が、
私の体を通り過ぎていったのでしょう。
翻訳というものは右から左へ、
それぞれのやり方で言葉を変換していくもの。
変換されたものはそのままそれを必要としている人のもとへ
まるまる届けられるのだ。
何も残らないようでいて、
通り過ぎていった媒体である私の中には、
澱のような、消去しきれない情報が残っている。
それが疎ましくもあるし、面白くもある。
翻訳家になれますように。
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