中学校の頃くらいからだと思う。
私は翻訳家か作家になりたかった。
そして今、翻訳家、とまではまだまだ実入り的に豪語できないものの
一応、翻訳者として生きている。
どうしてこうなったか。
どん、っと「翻訳家への扉」があったわけではなくて、
目先の選択肢をいつも「できればそっちっぽい方へ」と
たぐってたどってきた結果がこれである。
何年越しとかいう壮大な、はっきり言えば見当のつかない未来のために
何かを選んだり、生きたり、することができない小心者である。
であるが故に、「いまどうするか」「ここでどうするか」を
常に見張って、迷って、選び続けている。
それがきっと、海から小川をたどって河へ源流へと逆収斂されるように
この翻訳者という立場に私を導いてくれたんだろう。
どっしりと腰を据えた「待ち」の姿勢がとれないのは、
勇気があるからではなくて、不安だからである。
続けること、明日もそこへ通うこと、
十年後も二十年後もそれができるだろうと、
イメージしながら実行できている人は心からすごいと思う。
今の場所に自分を置き続けることが、それはそれで毎日の
大きな選択であり決断であると分かっていてやっている人は
もう、精神的に「先生」と呼びたいくらいである。
そのくらい別人種なのだ。
流れ流れて夢が叶って、
それを膨らましていきたいと青臭く意気込む、
遅咲きの、誕生日迎えて間もない人間の、鼻息荒い日記です。
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Last updated
2009/11/09 11:36:47 PM
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