NHKで以前放送された「無縁社会」の、
フォロー番組にあたるドキュメンタリが今夜、放送された。
家族のいる中でチャンネルを合わせて見ていたけれど、
いたたまれなくなって変えてしまった。
孤独、孤独と言うけれど。
無縁、無縁と言うけれど。
人とのつながりは、ちょっと踏み出せば作れるものだ。
看取ってもらえるかどうかなんて保証はないけど、
自分からつながろうとしない人が嘆く孤独は嘘くさい。
誰かが、いつのまにか、仲良くなってくれると思ってるんだろうか。
ある人などは、食事は殆ど毎日外食だと語っていた。
あれ、と私は引っかかる。
毎日外食などしていたら、友だちが出来ないほうがおかしいじゃないか。
私は寂しいとき、ランダムに他人と知り合いたいときにひとりで外食するぞ。
しかし、その後のナレーションにかかる映像が吉野家だったので、
ちょっと納得した。というか、仕方がないかな、と思った。
機械的にこなされるあの類のチェーン店で、人のつながりが生まれるとは思えない。
可能性はいつだってゼロではないけれど、簡単ではないだろう。
そして気づく。
自分が、「個人店好き」だったことに。
個人で経営している店は、ともすれば面倒なこともある。
常連さん同士が、とか、マスターの機嫌が、とか。
でも、ひっくるめて振り返ればそんな人間付き合いに救われるのだ。
ネットで色々便利になって、バーチャルつながり感がはびこって、
生身のつながり方を忘れてしまったんだろうか。
あるいは、それが面倒になってしまったんだろうか。
生の人間関係を築かずには生きてゆけない一昔前から、
取り立ててそんなものなくとも一応は生きてゆける現在。
無縁死は無縁死でひとつの問題として提議することは認める。
でも、無縁社会とはやし立てて煽っていくのは違うと思う。
こればかりは単純に、行動の問題である。
「無縁社会だって」が呼ぶ共感がネット上のものだけであれば、
そこには具体的な進歩も希望も何もないのだ。
さらに、「無縁社会こわい」と共感しあう人々は、
大抵こぞってネットの世界に重きを置く住人なのである。
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Last updated
2010/04/04 12:52:06 AM
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