整理しておこう。
この3年半恋人と呼んでいた人を、もうそう呼ばないことにした。
音楽や文化の師匠では引き続きあるし、好ましい人ではあるが、
いわゆる恋人という響きに含まれる期待を、私は諦めた。
別れた、と呼べば人にこの変化を伝えやすいのかもしれないが、
それはそれでかなりの誤謬になると私は考えている。
長い付き合いの中の、恋人の期間がゆっくりと、
腫れていた箇所が元に戻るみたいにして、やんだような。
弟が東京からこの家に戻って来て、
週末に私が行く筈だった山の家に、彼がどうしても行くことになったり、
私と飲む約束は反故にして、こちらの友人と出かけてしまったり。
彼みたいな性格を私も持っていたら、どんなに良かったかと思う。
人と新しい関係結び、深めてゆくこと。
そもそも誰かに興味を持つことが、すっかり疎かになっている。
新しい関係に期待ができないのだ。
私は今の今、自分に恵まれた友人に非常に満足していて、
そして、彼らから、遠い。
あれほどの仲であるからこそ貴重で快いのであって、
そこまで深くなれないのなら新しいのは要らないとさえ思ってしまう。
どうしても私は、新しい他人に期待ができない。
自分みたいな人はどこかにいないかと探す。
でもどこにも見つからない。
はしゃいで騒いでというんじゃなく、
のんびりと、目に見えないものの話ができればいいのに。
私は自分の勝手な言い分によって、さみしい。
何を偉そうに。
私の目にはどうしてほぼ全てが浅く映るんだろう。
無駄な達観や諦観をどこかへやりたい。
それらがあるからこそ私が、理性と平静を保っていられるのもまた一方の事実。
まだ青いのに、人嫌いしてちゃ駄目だ。
そう思ってみても、これが性格なんだろうか。
雨がざあざあ降っている。
私みたいな人は、この雨の中のどこにいるんだろうか。
どこに居て、何を思っているんだろうか。
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