旅行という名前で正式に呼べるような旅行は、とんとしていない。
目的地あるいは目的を持ってどこか遠くまで出向くことに
なぜだか強い魅力を感じていないのだ。
随分年上の人は、「行けるだけ行っておきなさい」と言っていた。
でも、その意味するところが実感できない。
何事も体験だとは言うものの、
私は、かなり頭の中でひとりきりで、
いろんな物事を済ませてしまう。
いろんなところに行ってしまう。
だから、わざわざ、という形容詞を選んでしまうのだ。
旅行という文字に対面した瞬間ごとに。
ただ、移動は好きだ。
車もいいし、自転車も悪くないし散歩もいい。
しかし、飛行機よりも新幹線よりも、
私が好きなのは長距離バスなのだ。
ビジネスホテルを好きな理由に似ている。
長距離バスに乗っていたり、
ビジネスホテルに泊まっていたりすると、
それがたとえどの地域でのことであれ、
均しくさみしくなれる。
根無しの感覚になれる。
それは自由の感覚である。
長距離バスであれビジネスホテルであれ、
空気には常に一抹の不安と緊張とが混じっている。
その中で、私の心は最大に解放される。
もしも移動そのものを旅と呼ぶなら、旅も悪くないかもしれない。
最寄りの駅のビジネスホテルであっても、
泊まり慣れていない場所ならば立派な旅になる。
遠くへ行きたいのでもなく、
日常から離れようと構えるわけでもなく、
ただ、どこにも何にもきちんと属していない、
中間地点であり中継地点であり何かの途中である、
未決の境地に自分を置いていたいだけなのである。
ただ、空港との間を長距離バスで往復する。
息の詰まった挙げ句にはそんな休日を持っていたことを思い出した。
私はひとりで飲みに出かける。
そして気に入った店に暫く通い、
常連になりそうになったらぷつりと行かなくなってしまう。
それに、そこで出会った人以外の、たとえば前から知っている人間の存在や、
遭遇の可能性を少しでも感じると足が遠のく。
そこで出会った人であれ、誰それがいると確実にわかるような場所には
やはり、あまり行く気がしなくなる。
そのことと、きっと源は同じである。
私はいつも、少しだけ、不慣れでいたいのだ。
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Last updated
2010/08/26 10:40:12 PM
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