広義では地震の夜であるが、
狭義では地震の夜に入らない、私の場所。
気をもむ先が地震の夜のただ中にあり、
現地の惨状や不便を見聞きする目に目に、
海外からぞくぞくとやってきてくれる救助隊が映る。
同じ国にいて、あんなに大切な人のためにどうして何もしてやれない。
あまつさえ知人のひとりはまだ見つかってもいない。
平和教育という名のもと、
精神的にまだ卵の白身くらいだった私たちは
放射能の恐ろしさ、激しさ、というよりもむしろ
その結果として起こる人体的所見のグロテスクさを
いやというほど刷り込まれている。
こうして少しずつ削られて無気力になってしまうのか。
そんなことをしたら本当にこの国は沈む。
どこにいて心臓をどうしているか分からない災地の彼も
私が沈んでいたら、物理的に沈んで死んでしまいそうだ。
桁が違う情勢ニュースが続くなか、
自分の抱いていた「災害に際してのもろもろの数値の桁」が
もろくもゆらいですぐに麻痺する。
10000人行方が分からない。
2000人見つかった。
8000人に「減った」。
8000人?
その町の、その数だけでもおそろしいのに。
8000に減ったことに安堵しかけて止まる。
2000人見つかったことよりも、
得体の知れない「行方不明」という恐ろしい塊が減ったことに意識がとられる。
わからない。
分からなさすぎて、数枚の札を募金箱に押し込んだ。
人工呼吸の、心臓マッサージのように。
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Last updated
2011/03/16 12:32:49 AM
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