020522 ランダム
 ホーム | 日記 | プロフィール 【フォローする】 【ログイン】

海部郡の古道を散策する「の~民」

海部郡の古道を散策する「の~民」

PR

キーワードサーチ

▼キーワード検索

プロフィール

の~民

の~民

カレンダー

お気に入りブログ

まだ登録されていません

コメント新着

王様@ 潮 吹 きジェットw サチにバ イ ブ突っ込んだ状態でジェット…
ドライブ好き@ 風呂入るのメンドクサイ! http://feti.findeath.net/-mfm8sp/ 今日…
チリチリ@ 次は庭で全裸予定w http://kuri.backblack.net/mn6o9gu/ ち○…
しおん@ ヤホヤホぉ★ こっちゎ今2人なんだけどぉ アッチの話…
ニキビ侍@ ありがとう!!!!!!! 顔見てるだけでもギンギンでミルク発射し…

フリーページ

ニューストピックス

2009年02月23日
XML
カテゴリ:津島上街道

旧津島上街道(五条川右岸堤から薬師寺まで)

五条川右岸堤から下り口

五条川右岸堤からの降り口2 

法界門橋を渡り終え、そのまま津島上街道は津島方面に向かいますが、橋を渡り終えたら左折して10mぐらい南下しますと堤防を降りる坂道があります。

旧津島上街道

旧津島上街道2 

旧津島上街道3 

車1台がやっと通れる裏路地のような細道で、現在は法界門橋西信号交差点北進右折車両が信号待ちを嫌って抜け道に利用していますが、かつての津島上街道です。

津島上街道は名古屋と津島を結ぶ主要街道ですし、東海道の脇街道として佐屋街道が整備されるまでは主要街道だったはずですがその狭さに驚きます。

主要街道は現在で言えば国道、それも国道1号線に代表される一桁番号の国道クラスの主要街道のはずです。

「の~民」が、昭和30年代の後半に国道1号線を見たとき、あまりにもの車線広さ(2車線でしたので、交互通行をする必要がなかったからです。)と、通過車両の多さ(車が常に視界の中にある状態の道路でした。)に驚いた記憶があります。

その頃の「の~民」の回りの交通事情は、40年代の前半に青年団に入っていた当時、村民運動会で字別(集落別)リレーの練習をするため、郡道(海部郡が設置した道路の意味だと思います)を集落の練習会場にしていたような時代でした。

しかし、かつての主要街道(鎌倉時代の主要街道のことです)が、道路幅の基準が一間(約1・8m)だと知って納得しました。

考えてみれば「の~民」たち現代人は、現在でこそ車幅1.5~2mぐらいの車で移動していますが、かつて街道を利用していたのは人か馬、若しくは大八車ぐらいしか通らなかったことを考えれば、一間幅の道路で十分ですよね。

旧津島街道を抜け県道給父西枇杷島線にでると薬師寺はもうすぐです。






お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2009年03月07日 22時40分03秒
コメント(47) | コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x

© Rakuten Group, Inc.
X