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カテゴリ:小説「愛を抱いて」
11.赤い靴事件 ~柳沢泥酔事件~
深夜になって、ディスコ大会はいつもの宴会に切り換わった。 「あなた達、最近よくフー子の部屋へ侵入してるんだって?」 香織が、私と柳沢に向かって云った。 「ゆうべなんて料理まで作らせたそうじゃない。」 「料理はフー子ちゃんの好意だぜ。 それにカットして貰ったり、洗濯させて貰ったり、理由が有って行ってるのさ。」 私は云った。フー子も頷いた。 「別に、君がとやかく云う事は無いだろう?」 突然、柳沢が強い口調で云った。 「私は… 」 香織は柳沢の調子に愕いた様だった。 「唯、女の子の部屋へ夜押し掛けるなんて、大胆だなって思って…。」 「俺達が三人で買った洗濯機が、彼女の処に有るだけの事さ。 そして君には関係の無い事だ。」 柳沢は口調を変えなかった。 初めは軽くからかう積もりで口を開いた香織は、柳沢の敵意を持った言葉に、少しムッとなった。 「関係有るわよ。 フー子は私の大事な友人だわ。」 「俺達が彼女に、何か悪い事でもするって云うのかい?」 柳沢と香織を除いた者は、「此れは拙いな…。」と感じながら、然し黙って居た。 「そんな事云ってやしないわ。 唯フー子が急度、迷惑してるって云ってるのよ。」 「彼女が迷惑だと云うのなら、勿論遠慮するさ。」 「彼女は人が好いから、面と向かっては云わないわよ。」 「フー子ちゃん、…俺達は迷惑かい?」 柳沢はフー子に訊いた。 フー子は、急に自分が喋らなくてはいけなくなって、少し困った顔をしたが、静かに答えた。 「…勿論、迷惑じゃ無いわ。」 「フー子、正直に云っといた方が好いわよ。 此の人達、直ぐ図に乗るから…。」 香織が云った。 「…本当に迷惑だなんて思って無いわ。 私、一人で居ると淋しくて仕方の無いたちだから…、部屋へ遊びに来て呉れたり…、みんなと、こうして居るのが愉しいの。」 フー子は自分のグラスに視線を置いて、真面目な顔で云った。 「若し、香織も世樹子も中野に住んでなくて、柳沢君や鉄兵君に逢う事もなくて、毎晩部屋へ帰ってからずっと一人で居る生活を、今頃してたら…、私急度、耐えられなかったと思う。 だから…、本当に…、みんなに感謝してるわ…。」 柳沢と香織は、もう云い争う事をしなかった。 其の夜、柳沢は普段の何倍ものペースで、何倍もの量の酒を呑んだ。 「柳沢、顔が蒼いぞ。」 既に眼を据わらせて、ヒロシが云った。 いつもヒロシは、酔うと口調が乱暴に変わった。 「お前、何か荒れてるな…。」 そう云って身体を横にしたかと思うと、ヒロシは眠ってしまった。 彼が宴会の途中で眠るのも、いつもの事だった。 「柳沢君、もう止めた方が好いんじゃない?」 世樹子が心配そうに云った。 「そうだな…。」と云いながら柳沢は、氷だけになったグラスにウィスキーを注いだ。 「鉄兵、勝負しようぜ。」 不意に柳沢が云った。 フー子と一緒に、ヒロシの瞼にバンドエイドを貼っていた私は、「よし。」と云って柳沢の正面に坐った。 私と柳沢は乾杯をして、水割を一息に呑み干した。 「止め為さいよ。 柳沢君はもう酔ってるわ。」 世樹子が云った。 我々は2杯目の一気を終えた。 「止めてったら…!」 世樹子が叫んだ。 「呑みたいのなら、好きなだけ呑ませれば好いのよ。」 香織が云った。 我々が3度目の一気を終えてグラスを置いた時、世樹子は涙汲んでいた。 「次からはストレートで行こう。 其の方が勝負が早い。」 私は云った。 氷が僅かに残っているグラスにウィスキーだけを入れて、我々は乾杯した。 胃の中へ、熱いものが流れ落ちて行った。 柳沢は激しく咳き込むと、口を抑えた儘立ち上がった。 そして心許無い足取りで、部屋を出て行った。 然し、彼が階段を下りて行く音は聴こえなかった。 開いたドアの向うから、激しい嘔吐が聴こえた。 トイレは1階に有ったが、彼は我慢が効かなくて2階の廊下の窓から、外へ吐き出したのだった。 香織と世樹子に抱えられて戻って来ると、彼は完全に潰れてしまった。 仰向けに転がり、苦しそうな唸り声を挙げていた。 「大丈夫かしら…?」 世樹子が云った。 「多分…、身体の方は大丈夫さ。」 私は云った。 アパートの裏で、誰かが叫んでいる様だった。 私は廊下へ出て、先程柳沢がゲロを吐いた窓から顔を出した。 窓の下は民家の庭であり、其処に其の家の主人らしき男が立って、此方を見ていた。 男の横には自家用車が停まっており、其の自動車の上一面に嘔吐物が付着しているのを視て、私は男が叫んでいる理由を理解した。 私は急いで部屋へ戻った。 「どうしたの?」 「柳沢がゲロを吐いた真下に、車が駐車して在った。 一寸、行って来る。 君等は出て来なくて好いから…。」 そう云って私は、又急いで部屋を出た。 靴箱の横の開き戸を開け、バケツと雑巾を取り出してバケツに水を汲むと、私は三栄荘の門を駈け出た。 平身低頭、家の主人に詫びを云い、ゲロを被った車を掃除した。 何度も水を換え、やっとの事で車を綺麗にしてからアパートへ戻ると、階段の処で世樹子が待って居た。 「御苦労様。私達も手伝うべきだったのに、御免なさい。」 「好いんだよ。 ちゃんと許して貰った。」 「あのね、柳沢君が…、一寸変なの。」 「えっ…? どう言う事だい?」 「頭が…、おかしくなっちゃったみたいなの…。 私、怖い…。」 「どうしたんだ? 柳沢は眼を覚ましたのかい?」 私は世樹子を連れて部屋へ入った。 部屋では、香織とフー子が笑い転げていた。 柳沢は窓に背中を縋らせて、坐って居た。 「赤い靴を忘れちゃった…。」 柳沢が云った。 私は彼を注視した。 相変わらず顔色は蒼かった。 そして眼が半眼で、瞳の焦点が合って無かった。 「取りに戻らなきゃ…。 ああっ! 飛行機が…、…行っちゃうよお!」 宙を見ながら、彼は云った。 彼が喋る度に、香織とフー子は腹を抱えて笑った。 「柳沢君、確りして。」 世樹子は泣き出しそうな声で云った。 「一人言…?」 私は香織に訊いた。 「違うんじゃない? 返事をするもの。」 そう云って香織は又笑った。 「赤い靴は、何処に忘れたの?」 笑いを堪えながら、フー子は柳沢に尋ねた。 「…。 飛行機… 」 「飛行機に忘れたのね?」 「…飛行機が、…行っちゃうよお!」 私も思わず吹き出した。 「赤い靴は、女の子が履いてたんじゃないの?」 今度は香織が訊いた。 「…。 …未だ、…履いてない…」 「女の子は飛行機じゃなくて、船で行っちゃったのじゃなかったかしら?」 フー子が云った。 「…飛行機…、赤い靴が…、…行っちゃうよお!」 「ねえ、鉄兵君。 何とかして挙げて。」 世樹子が云った。 「何とかって、救急車でも呼ぶのかい?」 「世樹子も心配許してないで、少しは笑い為さいよ。」 香織が云った。 「だって…、…よく笑ってられるわね。 若し此の儘、直らなくなったらどうするの?」 「そしたら、みんなで面倒を看て遣るさ。」 「毎日愉しいわよ。 漫才視てるより、面白いわ。」 「うわあっ! 眼が開かない!」 突然ヒロシが叫んだ。 東京に来て私が最も驚いたのは、日の出の時刻が早い事だった。 夏場には4時になると、東の空がうっすら明るかった。 広島と東京では、日の出の時刻に1時間の差が有った。 朝の8時半になると、柳沢を布団の上に残して、我々は朝食を食べに出掛けた。 沼袋駅前の「赤いサクランボ」と言う喫茶店に入った。 入口で、店の看板の「赤い」と言う文字を視て、我々は又笑った。 「『赤い靴』って何かしらね?」 「半分夢でも見てたんじゃないの?」 柳沢は夜が明ける頃、眠ってしまった。 「柳沢君、可哀相だったわ。 みんなずっと笑ってたけど、若し眼が覚めてもあの儘だったらどうする?」 「あなた心配する振りをして、随分残酷な事を云うわね。」 「可哀相なのは俺だよ。 まつ毛が6本も抜けちゃったんだぜ…。」 モーニングを食べ珈琲を飲み終えると、4人は其々のアパートへ帰って行った。 私は部屋へ戻って髭を剃り、支度を整えると、広田みゆきに逢う為出掛けた。 〈一一、赤い靴事件〉 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2006年03月25日 11時05分52秒
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