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カテゴリ:小説「愛を抱いて」
32. 木曜日のデート
翌朝、耳の側で時計が鳴った。 翌朝と言っても、私が布団に入ってから4時間しか経ってなかった。 私は低血圧の所為で朝の目覚めに弱かった。 腹這いになって、煙草を口に銜えた。 瞼が重かった。 煙草を吹かしていると、ノックの音がした。 階段を上る音が聴こえなかったので、私は微かに愕いた。 「どうぞ…。」 私は云った。 鍵は掛かってなかった。 静かにドアが開いた。 「起きてたの…。」 世樹子は云った。 部屋に入ると彼女は布団の側に膝を付き、枕許に缶コーヒーを置いた。 「起こしに来て呉れたのかい?」 私は身体を半分起こした。 「そうよ。 愕いた?」 「否。 何となく、来る様な気がしてた…。」 「あら、どうして?」 世樹子がファミリーの皆が集まる理由でも無いのに、一人で私の部屋へ遣って来たのは、其の朝が初めてであった。 「理由は無いんだ。 唯、何となくさ。」 「そう…。 でも、来る必要は無かったわね。 ちゃんと起きれたみたいだから。」 前夜、2台の車は中野へ帰って来ると、飯野荘の前で4人の女を降ろした。 そしてフー子を降ろした後、車は三栄荘の前に停まった。 「そんな事はない。 君が来て呉れたお蔭で、起きる事が出来た。」 「嘘よ。 先に起きてたじゃない…。」 柳沢は此の儘横尾の家へ行くと云い、ヒロシもレンタ・カーを返す為に、ファミリアとミラージュは走り去った。 「確かに、君がノックする直前に目が覚めたが、いつもは時計のベルなんて、全く役に立たないんだ。 急度、君が此のアパートに近付いたのを感じて、身体が目を覚ましたのさ。」 世樹子は微笑んだ。 「もう八時半よ…。」 世樹子が云った。 「ああ、本当だ…。 じゃあ、モーニングでも食べに行くか。」 「何、呑気な事云ってるの? 体育に遅れちゃうわよ。」 「世樹子、今日授業は?」 「私は午後からよ…。」 「じゃ、俺も午後から体育に出よう。」 「そんな…。 駄目よ…、折角起きたのに。」 「好いんだよ。 午後からの体育理論にさえ、出席すれば…。」 2人は三栄荘を出て、沼袋駅の方へ向かった。 「私、起こしに来て、逆にサボらせちゃったみたいね…。」 「赤いサクランボ」で「モーニングBセット」を2つ注文した後、彼女は云った。 「まあ、君が来なければ、急度体育に行ってただろうな…。」 「御免なさい…。」 「謝る事はない。 此れでも俺は喜んでるんだぜ。」 10月1日、其の日も秋晴れの爽やかな一日になりそうだった。 「さて、何処へ行こうか?」 「私は何処でも良くってよ。」 「世樹子、テニスをしたいって云ってたよね?」 「ええ…。」 「じゃあ、オート・テニスをやりに行こう。 午前中に身体を動かすってのも、好いものだ。」 「好いわよ。 どの道鉄兵君は、体育の日だったんですものね。 でも、こんな時間から出来る処、在るの…?」 「伊勢丹の屋上に在るんだ。」 デパートの開店迄には未だ少し時間が有った。 私と世樹子は「赤サク」で充分時間を潰してから、電車に乗り、新宿へ向かった。 「君は忘れるって云ってたけど…、」 伊勢丹へ向かう舗道を歩きながら、私は云った。 「…矢っ張り、忘れちゃったかい?」 「何の事?」 「否、忘れたのなら、いいんだ。」 9月25日に、2人が偶然六本木のディスコで逢って、チークを踊った時の事を私は訊いたのだった。 「…忘れられる理由ないでしょ…。」 世樹子は呟く様に云った。 「…そう。 良かった…。 よぉし、何か急に元気が出て来たな。」 私は右腕を大きく廻した。 「私、テニスって殆どやった事無いの。 教えてね。」 「任せろって。」 私は人に教えられる程テニスが上手い理由では、勿論無かった。 「あれ…?」 二人は伊勢丹新館の入口の前に立っていた。 入口はシャッターに閉ざされ、「本日定休日」の表示板が立ててあった。 「そうよ…。 木曜は定休日だわ…。」 二人は遣って来た路を再び歩き始めた。 「頭に来るよな。 選りによって木曜に休まなくたって好いものを…。」 「矢っ張り、体育に出なさいって事よ。 今からなら、未だ2限に間に合うんじゃなくて?」 「否、こうなったら、意地でも体育には行きたく無い。」 「どうするの…?」 「そうだな…。 ねえ、一緒に映画を観ない?」 「…好いわよ。」 歌舞伎町の中に、周りを沢山の映画館に囲まれた広場が在った。 広場の中央には小さな池が在り、其の池のほとりに私と世樹子は腰掛けていた。 「さて、どの映画を観ようか?」 「私はどれでも好いわよ。 でも鉄兵君、こんなのは余り好きじゃないんでしょ…?」 「まあね…。 世樹子は?」 「私はみんなと違って、映画に全然詳しくないから…。 でも、鉄兵君達が馬鹿にしてる大衆映画って言うのなんかでも、面白いと思うわよ。」 「そう…。 俺もカッコ着けてるだけで、実は面白ければ何でも好いんだ。 あれなんて、どう?」 「『悪霊島』…? 面白そうね…。」 「よし、決まりだ。」 二人は池の側を離れた。 此れは予想していた事だったが、上映開始は正午からであった。 窓口の時間表を視て、世樹子は残念そうな顔をした。 「さて、行くか…。」 「そうね…。」 二人は映画館を後にした。 「あら…、ねえ、何処へ行くのよ?」 立ち止まって、世樹子は云った。 「何処へって、サテンへ行くんだろ?」 「サテン…? 新宿駅へ行くんじゃないの?」 「サテンで12時迄、時間を潰そう。 君はどうしても授業に出なくちゃいけない…?」 「どうしてもって事は…。 私より、鉄兵君でしょ?」 「俺はもう全休の積もりだぜ。」 「何云ってるのよ。 体育の単位、落としちゃうんじゃないの?」 「1回休んだからって、単位なんてそう簡単に落とせるものじゃないさ。」 世樹子は少し笑った。 「変な云い方ね…。 でも鉄兵君に丸1日サボらせちゃったら、私何か済まないわ。」 「済まないのは御互い様さ。 唯、俺は1人でも映画に行くぜ。 もう決めたんだ…。 伊勢丹が休みだったのが、いけないんだ。 悪いのは、伊勢丹さ。」 世樹子は笑った。 「そうね…。 伊勢丹の所為ね…。」 ロード・ショーを観終わって、二人はブラブラとアルタの方へ歩いた。 新宿駅の北口広場で、プロのバンドがストリート・コンサートをやっていた。 ボーカルのコニーと言う女が、「キッスは眼にして…。」と唄っていた。 街頭でのミニ・コンサートを最後迄観た後、暫くウィンド・ショップを楽しんだ。 其れから二人で食事をした。 「あら、もうこんな時間…。」 世樹子は腕時計を視ながら云った。 「今日は時間の経つのが速いわね…。」 色白の彼女の肌は、もう夏の日焼けがすっかり褪せていた。 「考えてみれば、一日中二人でデートしてたみたいね。」 「みたいじゃ無いさ。 其れに、一日は未だ終わっちゃいない。」 「どう言う事…?」 セミ・ロングの彼女の黒髪が揺れた。 「君は、よく六本木へ踊りに行くのかい?」 「よくでも無いわ。 鉄兵君達に比べれば、たまによ。」 彼女の瞳には輝きが有った。 「俺達は此の前、随分久しぶりにディスコへ行ったんだぜ。」 「本当? そう言えば、此の頃は余り行ってないって云ってわね。 もう飽きちゃったんでしょ?」 「そうじゃなくて、一晩踊ると次の日酷く腰が痛むんだ。」 世樹子は口に手を充てた。 「どんな店へ行ってるんだい?」 「『マジック』も好きよ。 後は、『マハラジャ』とか…。」 「もう一度、君とチーク・ダンスがしたいな。」 「…あれは、一夜の過ちよ…。」 「そうかな…? ねえ、ゆうべ余り寝てないだろうけど、此れから踊りに行く元気は有るかい?」 「踊りに…?」 彼女は微笑んだ。 「好いけど、腰は大丈夫…?」 〈三二、木曜日のデート〉 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2007年02月25日 23時58分05秒
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