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カテゴリ:小説「愛を抱いて」
37. 黒いスカートの女
居酒屋を出た後、我々は新宿駅前の「じゅらく」と言う喫茶店に入った。 ゆかりと底無し女と、柴山を椅子の上に寝かせて、7人でテーブルを囲んだ。 居酒屋から其の喫茶店迄の路上で、私はゆかりを抱えて歩きながら、淳一に云った。 「残りの3人の女がピンピンしてるのは、どう言う理由だ?」 「俺達は途中で諦めてしまったんだ。 柴山の様に、共倒れになるのは解ってた。 でもお前等は偉いよ。 よく彼女達を潰せたな…。」 「馬鹿野郎。 誉めて貰う為に潰したんじゃねぇぞ。」 (馬鹿野郎。) 残された時間を、唯明るい話題で女達を持て成しながら、ルーズに過ごしている淳一、西沢、野口の顔を眺め、私は心の中で繰り返していた。 「貴方、眼が眠たそうよ。」 隣の女が私にそう云った。 「おい、鉄兵…。」 淳一に肩を揺すられ、私は眼を覚ました。 気付くと、私の頭は女の膝の上に在った。 「彼女達、帰るってさ。」 私はフラフラと立ち上がった。 不意に吐き気が胸を襲った。 淳一に肩を借りて、私はトイレへ行った。 「お前は何とか歩けそうだな。 実は先生が大変なんだ。」 私の背中を擦りながら、淳一が云った。 トイレからテーブルの側へ戻ってよく視ると、柴山が床の上に寝ていた。 彼の顔の側には、彼の胃の中に有ったと思われる物が、散乱していた。 「駄目だ。 全く起きる気が無いらしい…。」 西沢が云った。 柴山は蒼い顔をして眼を閉じ、床に横たわった彼の身体は異様に大きく見えた。 「兎に角3人で下迄運ぼう。 先に鉄兵を下へ連れて行って来るから、少し待ってて呉れ。」 淳一が云った。 私は淳一に肩を抱えられて、エレベーターに乗った。 「悪いな…。」 私は云った。 「悪いのは俺達の方さ。 お前が此処迄、気力を吐いた事を無駄にしてしまった。」 「否…、お前等の判断は、正しかったさ…。 下手をすれば、全員街の中で、動けなくなってた…。 止せば良かった…。 途中で、駄目だなって、気付いてたのに…。」 「じゅらく」と言うネオン看板の有るビルの下へ出て来ると、淳一は私をコンクリートの花壇の淵に坐らせて云った。 「此処で暫く醒ましてろ。 俺達は先生を連れ出すから。」 彼は再びビルの中へ入って行った。 彼等はいつ迄経っても、出て来なかった。 私はともすれば、又睡魔に脳を支配されそうになった。 (今度眠ったら、俺も先生の様になりかねない…。) そう思って、私は立ち上がった。 (三栄荘迄何とか辿り着いて、眠ろう…。) 私はロボットの様な歩き方で、西武新宿駅へ向かい始めた。 唯足元だけしか認識出来なかった。 赤信号の横断歩道の前で、私は小さな坂に足を取られ、前方へよろめいた。 車道へ倒れ出ると流石に命が危ういと思い、私は腕を延ばして信号待ちをしていた人間の一人に、後ろから抱き着いた。 「止めて下さい。」 其の女性は冷たい調子で云った。 「…済みません…。」 私はやっとの思いで、そう云った。 信号が変わると、其の女性は駆け出して行ってしまった。 私は又フラリ、フラリと歩き始めた。 西武新宿駅の在る「新宿プリンスホテル」の前へ、私は脳波曲線を描きながら遣って来た。 「PePe」の前の階段を上って行く途中で、躓いて転んだ。 一度転ぶと、立ち上がるのが面倒になり、私は両手と両足を使って階段を這い上がり始めた。 「かっこ好いわね。」 直ぐ前から女の声がした。 私は其の儘、階段を這い上がり続けた。 「でも、かっこ好過ぎるわよ。 はい、立って…。」 私は女に抱き起こされた。 女は私の腕を自分の肩に回すと、ゆっくり階段を上った。 私の小さな視界の窓の向うに、黒いスカートだけが見えた。 「学生でしょ? 私も経験有るから、解るわ。 とっても苦しいのよね…。」 自動切符売場の前で、女は云った。 「何処迄…?」 「沼袋…。」 女は自分のと一緒に私の切符も買って呉れた。 「悪いね…。」 私は又女に抱えられて、歩き出しながら云った。 「いいのよ。 云ったでしょ、経験有るって…。 他人事に思えないのよ。」 最初は知り合いの誰かだろうと、はっきりしない頭の片隅で考えていたが、どうやら全く見ず知らずの女らしいと、其の辺で私はゆっくり判断していた。 「電車に揺られると気分悪くなるから、少し休んでから乗る?」 改札を抜け、ホームに入ってから女は云った。 「否、平気さ…。 早く、部屋へ帰って、休みたい…。」 「そう…。 そうね、其の方が好いわね。」 二人は電車に乗り込んだ。 私は電車の中で彼女の膝の上に頭を載せ、そして眠ってしまった。 途中で眼が覚めた。 黒いスカートが見えた。 私は上半身を起こすと前屈みになり、其の儘電車の床の上に激しく嘔吐した。 車内は空いている理由では無かったが、我々の前には立って居る者が一人も無かった。 「沼袋に着いたわよ。」 彼女に抱えられて、私は電車を降りた。 「君も、此の駅なの…?」 改札を出てから、私は訊いた。 「違うけど、あなた一人では歩けそうに無いから。」 私は依然覚束無い足取りの儘、踏み切りを渡った。 「どっちへ行くの?」 「こっち…。」 私は左手の路地を指した。 コイン・ランドリーの前で、もう一度吐いた。 苦い胃液しか出て来なかった。 三栄荘の階段を私は彼女と上った。 ドアを開けると、電気の点いた明るい部屋に、柳沢と香織と世樹子が居た。 私は部屋の中へ転がり込むと、其の場へ倒れた。 「鉄兵君…? 酔ったの…?」 「わぁ、御酒臭い…!」 ドアの方を振り向くと、彼女が顔だけ覗かせて小さく会釈した。 「じゃあ、お大事にね。 おやすみなさい…。」 そう云って、彼女の顔は消えた。 「柳沢、頼む…。」 私は云った。 「OK。」 柳沢は直ぐに部屋を出て行った。 「今夜も合コンだったんでしょう? あの娘に送って貰ったの?」 香織が云った。 私は二人が敷いて呉れた布団の上で横になった。 「ああ、送って貰ったんだけど…、あの娘は、合コンの女の子じゃないんだ…。」 「へえ、じゃあ…、まさか…。」 「まさかの方…。」 「行きずりの人?」 「うん…。」 「まあ、あの人、全然知らない人なの…!?」 世樹子が云った。 暫くして柳沢が戻って来た。 「上がって、珈琲の1杯でも飲んで行く様に云ったんだけど、電車が無くなるからって…。」 「まあ、沼袋の人じゃないの?」 「うん。 西武線の未だずっと先の方の駅だって云ってた。 其れで、沼袋駅迄送って来た。」 「優しい人なのね…。 良かったわね、鉄兵君。」 「鉄兵、若し俺達が居なかったら…?」 「こんな状態で、何か出来ると思うか…?」 「まあ、そうだな…。 『PePe』の前の階段を這ってる処を、助けられたんだってな?」 香織と世樹子は笑った。 「今夜は相当呑んだみたいね。 そんなに盛り上がったの?」 「否、合コンは最低だった…。」 「じゃ、私達は帰るわね。」 「鉄兵君、今夜は一人でぐっすり眠り為さい…。」 「そうよ、早く眠った方が好いわ。 もう吐き気は無いの?」 「うん…。 吐く物が無いんだ。 今度吐いたら、血が出る…。」 「肝臓がいつか本当に駄目になるわよ。 おやすみなさい…。」 三人は部屋を出て行った。 暗く静かになった部屋で、私は眠ろうとした。 然し、頭が酷く痛んで、中々眠れそうに無かった。 眼を閉じると、部屋中が回転を始めた。 胸の辺りが苦しかった。 堪らず、私は長い唸り声を上げた。 声を出すと幾分か楽になるのだった。 私は苦しみに耐えながら、やがて眠りに堕ちた。 私は眼を覚ました。 未だ夜中だった。 数時間は眠った様な気がした。 気分は落ち着いていた。 ふと気付くと、部屋中に黒い影が横たわっていた。 よく視ると、淳一と柴山と、西沢と野口がゴロ寝をしていた。 大きな鼾が聴こえた。 私は眼を閉じると、再び眠りに就いた。 翌朝、淳一と私は同時に眼を覚ました様だった。 二人は煙草に火を点けた。 「お前等、どうして中々出て来なかったんだ?」 私は訊いた。 「ああ、あの後、色々と大変だったんだ…。 お前は、ちゃんと1人で帰れたんだな。」 「1人では無かったらしいが、ちゃんと帰れた…。」 西沢と野口も眼を覚ました。 「よぉ、鉄兵。 毎度毎度、勝手に転がり込んで悪いな。」 「そんな事は、別に気にしちゃいないさ。」 「そうだな。 お前の場合、朝起きて隣に誰か寝ていても、一々驚いては居られないだろうな…。」 「こいつが悪いんだ。」 淳一が柴山の頭を小突いた。 柴山は幸せそうな寝顔をして、よく眠っていた。 「本当…。 ゆうべの先生には参ったよなぁ…。」 煙草を銜えながら、西沢が云った。 〈三七、黒いスカートの女〉 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2007年03月07日 16時19分33秒
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