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悠久の唄 ~うたの聴けるブログ~

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2005年11月07日
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   38. 柴山泥酔事件〔其の2〕


 我々は柴山の事を「先生」と呼んでいた。
共立女子大との合コンで、運悪く先生は途轍もない酒豪の女の隣に坐ってしまった。
私が「底無し」と密かに呼んだ其の女も最後は潰れたが、先生も又大破、否撃沈されていた。
「じゅらく」に入ると直ぐ、先生は椅子の上に身体を横たえ、眠り込んでしまった。
私は暫く皆の話に加わっていたが、途中で「酷く眠い…。横になりたい…。」と云い出し、隣の女に「膝を借りても好いかい…?」と訊くと、其の女の膝の上で眠り始めたそうだった。
やがて、ゆかりと底無し女が眼を覚まし、彼女達の寮の門限が迫って来た。
「彼女、未だ顔が蒼かったが、お前が膝枕をしているのを視て、確かに表情を曇らせたぜ…。」
淳一が云った。
「どうでも好いさ。
もう逢う事の無い女だ…。」
煙草の灰を落としながら、私は云った。

── 西沢が先生を起こそうとした。
先生は「ああ…。」と呟いたかと思うと、一人でフラッと立ち上がり、2、3歩前へ進んでから、床の上へドッと倒れた。
女の悲鳴が上がった。
西沢が慌てて駆け寄り、先生の胸に手を回して上半身だけ抱き起こした。
と、突然、先生は嘔吐を始めた。
西沢は先生の顔を下へ屈ませ、背中を押した。
野口が、居酒屋で貰って来たナイロン袋を持って走り寄ったが、時既に遅かった。
嘔吐を終えると、先生は「寝かせて呉れ!」と叫び、西沢の手を振り払って其の場で大の字になってしまった。
其の時、私は未だ女の膝の上でぐっすり眠っていた。

 私を外へ連れて出た後、淳一は再び店に戻って来た。
ウェイターが立って先生を視ていた。
床を酷く汚した代金は、矢張り五千円であった。
淳一、西沢、野口の3人で先生を抱えようとしたが、身体に触れると先生は「いい…、止めて呉れ!」と叫び、強く抵抗した。
共立の女達は、茫然と其の光景を見詰めていた。
「御免なさい…、私達が…。」
「君等は何も心配しなくて好い。
もう帰らないと、寮に入れなくなるんじゃない? 
俺達は此の有様で、送って行けないけど…。」
「とんでもないわ…。
彼、大丈夫かしら…?」
「こいつは酒に強いんだけど、際限無く呑むから、時々こうなるんだ。
初めての事じゃないし、俺達も馴れてるから平気さ。」
「そう…。
なら、安心だけど…。
本当に御免なさいね…。」
事態は初の合コンだった大妻の時以来の、不祥事となった。
彼女達はタクシーで帰って行った。
駅前で彼女達を見送った後、淳一は再度重い気分で店へ戻った。
先生は動く意志を見せず、誰かが身体に触ると激しく暴れた。
淳一と西沢は先生の手を持って、脚をばたつかせ、わめく彼を力ずくで床の上を引き摺って行き、エレベーターに乗せた。

 何とか外へ引き摺り出した先生を、コンクリートの壁に縋らせて、三人は少し休む事にした。
先生は再び嘔吐を繰り返した後、暫く静かになったが、やがて「寒い…。」と云ってガタガタ震え始めた。
彼の顔は、蒼白窮まっていた。
「おい、こいつ、急性アル中じゃねぇだろうな…?」
西沢が云った。
「酒は呑み馴れてるから、心配要らないと思うが、万一って事がな…。」
淳一は云った。
三人は次第に不安になり、一応病院へ連れて行こうと言う事になった。
我々は急性アルコール中毒で、次の朝ポックリ死んでしまった学生の話を幾つか聞いて知っていた。
中には、二人で夜、酒を呑み、強か吐いた後「もう、大丈夫だ。」と云って眠った友人が、翌朝、隣で冷たくなっていたと言うのも有った。
野口が119番に電話し、やがてサイレンを鳴らして救急車が遣って来た。
淳一が救急車に付いて乗り、西沢と野口はタクシーで代々木の救急病院へ行った。

 淳一達三人も、其の夜は矢張り可成の酒を呑んでおり、私や柴山の様に酷く酔った者が側に居た為、気分を確り持てたに過ぎなかった。
病院の廊下で柴山を待っている間に、三人の身体も其の夜血液中に侵入したアルコールを感じ始めていた。
疲れも手伝って、三人供長椅子の上でぐったりしていた。
柴山は中々病室から出て来なかった。
看護婦が出て来て、「今、注射を打って寝てますから、眼が覚めたら連れて帰って結構です。」と云った。
柴山は其れから1時間以上眠っていた。
三人も廊下の椅子に坐った儘、浅い眠りに就き始めた。
終電も疾うに終わってしまった頃、病室のドアが勢い好く開き、柴山が出て来た。
顔色はほぼ戻っていた。
「やあ、悪い、悪い! 
今夜は酔っ払っちまったなぁ…! 
さあ、帰ろうぜ。」
元気に柴山は云った。
三人は蒼い顔をして立ち上がった。
「何なんだ…? 
こいつは…。」
救急病院を出た三人と柴山は、どちらが患者だったのか解らない様子だった。
「もう寝るぞ。
直ぐ寝るぞ…。」
「此処から一番近い奴の家は…?」
「鉄兵の処だな…。」
四人はタクシーに乗り、沼袋へ向かった。 ──

 淳一等三人は用事が有るからと云って、帰って行った。
柴山は依然、眠り続けていた。
未だ身体の中に酒が残っている状態なので、私はもう一眠りしようと思い、横になった。
暫く眠ったが、直ぐに眼が覚めた感じだった。
柴山は起き上がっていた。
時計を視ると、午前10時だった。
「先生、お目覚めですか…?」
私は云った。
「ああ、今、起きた処だ…。
みんなは、帰っちまったのか…。」
柴山は煙草に火を点けると、深く吸った。
「2時間程前に、予定が有るって云って帰ったぜ。
ゆうべは大盤振舞だったな…。」
「強かったな…、あの女…。
居酒屋を出た後から、覚えて無いや…。」
柴山は再び煙を深く吸い込んだ。
彼はやや虚ろな表情をして、背中を丸くしていた。
「腹が減ったな…。」
彼は云った。
「俺もだ。胃の中が、すっからかんだもの…。」

 二人は「赤サク」へ行った。
「然し、お前食べれるのか?」
私は云った。
「腹が減ってるのは確かだが…、食って吐きそうになるのが怖いな…。」
私は「モーニング・おじや」を勧めた。
「うん、其れにしよう。」
私はいつもの様に「モーニングB」を注文した。
「何だ、此れ…?」
彼は自分のセーターの前を視て、云った。
彼の着ている無地のセーターには、模様が出来ていた。
其れは渇いた嘔吐物が、こびり着いているのだった。
私は、淳一達から聴いた昨夜の話を彼にした。
「そうだ…。
俺、そう言えば、病院のベッドに居たよ…。」
柴山は云った。
「そうか…。
救急車に乗ったのか…。」
注文の品が運ばれて来た。
「美味い…。
うめぇよ…!」
一口食べると彼は云った。
本当に美味しそうに、彼はおじやを掬った。
「先生、いくら美味いからって、泣かないで呉れよ。」
柴山は涙を流しながら食べていた。
「…うめぇよ…。」
彼は唯、そう呟くのだった。

 「又、虚しい朝を迎えてしまった…。」
店の窓から外を眺めながら、柴山は云った。
「でも、おじやは美味かった…。」
私は、服を貸して遣るから着替えて行く様云ったが、彼は此の儘で好いと云い、沼袋駅の中へ歩いて行った。
柴山を見送って、私は三栄荘に戻った。
部屋に柳沢が居た。
「随分遅くに、誰か来た様子だったが…?」
「ああ、クラスの連中さ。
もう、みんな引き揚げた。」
「そうか。
其れで、ゆうべの、お前を連れ帰って呉れた女性だが…、一応、名前と電話番号を聴いといたぜ。」
柳沢はテーブルの上に、メモ帳を千切った紙を置いた。
「どんな女だった?」
私は訊いた。
「…どう言う事だ? 
お前、顔を覚えて無いのか?」
「覚えて無いと云うより、顔をよく視て無いんだ。
黒いスカートだけは、はっきり記憶に有るんだが…。」
「成程…。」
「顔は綺麗だったか?」
「…俺はコメントを避けよう。
個人の趣味の問題も有るし。
でも心配するな。
悪くは決して無かった。
其れに、若い女である事は保証する。」
「そうか…。」
「逢いに行けよ。
顔は視てのお楽しみさ。
実はな、彼女はOLだそうだ。
其れから、詳しくは訊けなかったが、どうやら彼女が学生時代好きだった男に、お前が似ているらしい。
其れで、お前に声を掛けたって感じだったな。
多分、其の男とは別れてしまったんだろう。」
私はテーブルの上の紙を取り上げ、其れを見詰めた。
「もう一度逢って、御礼を述べたい気持ちは、有るんだが…。」
「湯浅容子」と名前の書かれた其の紙を、私は本棚の引き出しにしまった。

 中野ファミリーのトレーナーを引き取りに渋谷へ行く為、私と柳沢は部屋を出た。
煙草を口に銜えた後、ライターを取り出そうとポケットを探ったが、部屋に忘れたらしくポケットには無かった。
私は試しに反対側のポケットに手を入れた。
ライターは無かったが、紙切れが指に触れた。
取り出して、二つに折られた其の紙切れを開いてみると、其処には女の名前と電話番号が書いてあった。
「何だ、さっきの紙を持って来たのか。
今から電話するのか?」
柳沢が云った。
「否、此れは、さっきのとは違うんだ…。」
柳沢は私の手にしている紙切れを覗き込んだ。
「『今井ゆかり』…。
誰だ?」
「誰かな…? 
知らない名前だ…。」
「本当か…?」
「ああ。」
私は其の紙切れを丸めると、投げ捨てた。
「ゆうべの合コンで、知り合った娘じゃないのか?」
柳沢は云った。
「違うよ。
若し、そうだとしても、夜が明けたら覚えてなんて居られない…。
其れより、ライターを貸して呉れ。」
私は柳沢からライターを受け取ると、煙草に火を点けた。
「お前、容子さんにも、逢わない積もりだろ?」
柳沢は自分も煙草を銜えながら云った。
煙草を吸いながら、秋行く街の正午前の舗道を、我々は中野駅に向かって歩いた。


                        〈三八、柴山泥酔事件[其の二]〉


   秋行く街の舗道を 肩を並べ
   鉄兵と柳沢が 通り過ぎて
   物語は
   いよいよ後半へ突入する ──


   二人の行く手に 待ち受けるのは
   果たして 希望なのか それとも
   変わらない 酒と女のシーンであるのか…

   鍵となる筆者の言葉を紹介する。

   「実は、私は 真実の愛を
   描こうと したのだ…。」

   急転直下の予感を秘めて
   ストーリーは 又 淡々と流れる

   次章「39. トレーナー発表会」 乞う御期待!






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Last updated  2007年03月09日 00時13分40秒
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