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カテゴリ:小説「愛を抱いて」
42. 映画観賞会
「そんなに面白いの?」 香織が云った。 「うん。 みんなが素晴らしいと云うかどうかは判らないけど、面白い事だけは保証するよ。」 私は云った。 「タイトルは全然聴いた事無いけど、どんな映画なんだ?」 柳沢が云った。 「愛をテーマにした、サスペンス映画なんだ…。」 電車は新宿に到着し、4人は京王線に乗り換えた。 「でもあなた、私達の誰も観た事の無いそんな映画、よく観に行ったわね。」 「俺も観たのは偶然さ。 高校の時、2本立てでやってて、片方は何だったかもう忘れてしまったけど、其の時はそっちを観ようと思って行ったんだ。」 「そしたら偶然一緒に観た、其の映画の方が素晴らしかったと…。」 「うん。 まあ、此の映画を観て何も感じない奴は、映画の解る人間とは云えないと思うな。」 「何か狡い云い方ね。」 「鉄兵君が好いって云うのだから、急度好い映画だと思うわ。 私、とっても楽しみよ。」 世樹子が云った。 10月27日の夜、我々は「愛のメモリー」と言う映画を観る為、京王線の下高井戸駅に降り立った。 映画は派手なカー・アクションで始まり、車が爆発炎上するとスクリーンは一転しっとり落ち着いたムードになり、ストーリーは静かにゆっくりと流れて行った。 そして恋愛調のストーリーは次第にサスペンスの香りを漂わせ始め、クライマックスへ向かうに連れ、展開の加速度を増して行った。 ドンデン返し、…裏切り、復讐、…そして哀しみ…。 又ドンデン返し、…愛、真実、…ハッピーエンド。 場内が明るくなって、我々は立ち上がった。 そして、下高井戸の二流館を後にした。 「ザボン」の椅子に深く腰掛け、私は店の中央で音楽に合わせて点滅を続けるライトを眺めていた。 「演出、構成共非常に確りしていて、云うなれば有り触れたパターンに沿ったものだったな。 地味な映画だけど、何処か印象的だった。 其れから、ヒロインのあの女優…。 最初はそんなに美しい女性だとは思わなかったが、観終わった時にはファンになってた…。」 柳沢は語った。 「あなた、一体誉めてるの、けなしてるの?」 「勿論、誉めてるのさ。 そうは聴こえなかった?」 「まあね…。」 香織はダージリンを一口飲んだ。 「ストーリーなんてもう出尽くしていて、新しいものになんか先ず御眼に掛かれやしない。」 柳沢は云った。 「だから有り触れたもので充分さ。 新しいものは造れないからって、故意にストーリーの無いものにして、其れを観せられ退屈するよりは、余っぽど増しさ。 そして名画の条件と言うのは、初めはちっとも美しく観えなかったヒロインが、最後にはとっても綺麗に観えてしまう事だ。」 「成程…。 でも、初めからヒロインが美しい女性だった場合はどうなるの?」 香織が訊いた。 「俺は、美しい女性がヒロインをやる映画は観に行かない事に決めてるんだ。」 「じゃあ、あなた、ビビアン・リーやバーグマンも最初は綺麗だと思わなかったって云うの?」 「…『風と共に』や『カサブランカ』を観る前の事なんて、もう覚えていない。」 「鉄兵君、どうしたの? ボーッとして…。」 世樹子が私に云った。 「今夜観た映画の余韻に浸っているのさ…。」 私は云った。 「然し、君等は毎回映画を観た後で、よくそんなに喋る気になれるな。」 「あら、いけなかったかしら…?」 香織が云った。 「鉄兵は、直ぐ作品の内容に酔っちゃうタイプだからな…。」 「矢張り、名画と言うのは、古い映画の中に沢山存在しているよな。」 柳沢は指先のフィルターを見詰めながら云った。 「そうね。 私は昔の映画なんて殆ど知らなかったけど、東京に来てみんなと一緒にそう言うのを色々観に行って、全部好かったわ。」 世樹子が云った。 「俺達が、此れは好い映画なんだって、観る前から再三伏線を張るから、好い様に思えて来ちゃうんだろ。」 私は云った。 「私達の様に才能も知識も無い者が、勝手にあれ此れ批判するのは、一生懸命手掛けた人達に対して失礼過ぎるけど、でも、どうしても観に行きたいって思うロードショーって、滅多に無いわね。」 香織が云った。 「映画産業が不況に陥った頃から、おかしくなったと思わない?」 柳沢が云った。 「そうね…。 2時間余りの物語なんて、テレビで充分実現出来るものね。 わざわざ映画館迄足を運ばせて観せる為に、テレビには無い新しい価値を持たせようとして、其の工作が反ってつまらなくしてるのかも…。」 「テレビとは違うもので有る必要なんて無いよ。」 私は云った。 「テレビが普及する前から、テレビの前から映画は有ったんだ。 其の頃、映画は大衆文化だった筈さ。 そして今でも、そうあるべきなんだ。 其れが難しく学問的になる事が、進歩だと思うのは間違いさ。 何よりも先ず、映画は面白くなければいけない。」 「御尤もだけど、あなたが普段云ってる事と、少し違ってはなくて?」 「否、俺と鉄兵が使った大衆映画と言う言葉は、実は大衆が造った様な映画って意味なんだ。」 柳沢が云った。 「誰にでも造れそうな映画って言う…。 映画を観てると、映画人には2種類の人間しか居ない事がよく解る。 面白い映画を撮れる者と、つまらない物しか撮れない者と…。」 「ザボン」を出た後、香織と世樹子は飯野荘へ帰って行った。 三栄荘の階段を上って、例により柳沢は自分の部屋へは行かずに、真っ直ぐ私の部屋へ入った。 「あのさ…。」 二人で暫くテレビを視ていた後に、私は云った。 「俺、香織と別れる事にしたんだ。」 柳沢は直ぐには口を開かず、画面に視線を向けた儘だった。 「そうか…。」 テレビから視線を外すと、彼はテーブルの上に置かれたセブンスターを取り上げ、1本銜えた。 「もう、云って有るのか…?」 ライターを点けながら、彼は云った。 「否、未だ…。 でも、決めたんだ。」 「そうか…。」 柳沢は、其れ以上何も云わなかった。 画面が放送終了を告げてから、柳沢は自分も水割を呑み始めた。 「いつ、云う積もりなんだ?」 「近い中に、成る可く早く…。」 「彼女、あっさり別れて呉れそうか?」 「どうかな…? 解らんが、でも多分…。」 柳沢の中には、今も猶、香織が特別の女として存在している事を、私は知っていた。 「良ければ、理由を聴かせて呉れないか? 云いたくないのなら、別に好いんだが…。」 「…彼女と此れ以上関係を続けても、仕方無いと思って。 矢張り彼女は俺の手に余る女性だった。 黙っていても、何れ彼女の方から別れようって云うだろう。 そうで無ければ、急度二人共、荒んでしまうさ…。」 「そうか…。 お前でさえ、手に余る女か…。」 柳沢はグラスに氷を足しながら、呟いた。 「ねえ、今日は何の日か知ってる?」 私の腕に手を回しながら、世樹子は云った。 「さあ…? 確か合コンの有った日だと…。」 「あら、本当? 大丈夫だったの? 行かなくて…。」 「平気さ、たまには休養しなきゃ。 何せ連チャンだったから…。 其れより一体、何の日なんだい?」 「解らない? 残念だなぁ…。」 私は暫く考えてみたが、何も思い浮かばなかった。 「じゃあ、昨日は? 昨日は何の日だったか知ってる?」 「昨日…?」 「そう。」 10月30日の夜、私は世樹子と渋谷で呑んだ後、道玄坂を駅へ向かって二人で歩いていた。 「鉄兵君って忘れっぽいのね。もう、いいわ…。」 「え…、何か大事な事かい?」 私の少し狼狽えた顔を視て、世樹子は笑った。 「そうよ。 昨日はね、丁度3週間目なのよ。」 「…?」 「初めてデートして、私が鉄兵君の部屋に泊まってから。」 「…今日は?」 「今日で3週間と1日が過ぎたわ。」 「成程…。 明日も又、記念日になるのかい?」 「ええ、そうよ。」 中野駅の改札を出て、我々は飯野荘の方角へ歩いた。 「この頃、不思議なの…。」 彼女は呟く様に云った。 「何が?」 「香織ちゃんや誰かに、ゆうべは何処へ行ってたのって訊かれても、自分で吃驚する程、言葉がスラスラ出て来るの…。 平気で嘘が付けるのよ…。」 彼女は微笑んだ。 「本当に不思議…。 もう名人ね。 ポンポン云えるの。 平気な顔して…、嘘が…。」 其処迄云って、彼女は一瞬何かに脅える様な表情になり、顔を横へ背けた。 「振り向いても、無駄さ。」 私は彼女の手を握って云った。 「俺達はもう、駆け出してるんだ。 駆け抜けて行くしかない…。」 〈四二、映画観賞会〉 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2007年03月15日 22時38分38秒
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