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カテゴリ:小説「愛を抱いて」
46. 豊島園遊園地〔中編〕
「いやぁ、矢っ張り食後のバイキングは最高だな…。」 「全く、二人共どうかしてるわ。 此の時間に、乗ろうとする人が殆ど居なかった理由が、やっと解ったわよ…。」 「あの下腹に来る刺激が、何とも云えず好いよな。」 「俺なんて最後の辺で、本当に吐きそうになったぜ…。」 そう云った後、柳沢は突然呻き声を上げ、口に手を当てて背中を丸めた。 「まあ! 柳沢君、大丈夫…?」 「…嘘さ。」 世樹子は柳沢の背中を強く叩いた。 柳沢は再び口に手を当てると、今度は腰を落とした。 「あ、御免なさい…。」 世樹子は愕き、慌てて彼の背中を摩ろうとした。 柳沢は、笑いながら走り出した。 世樹子が、すっかり軽くなったバスケットを振り回した。 「次は何にするの?」 ノブが云った。 「そう云えば、未だ大事なものをチェックして無かったな。 お化け屋敷は何処に有るんだろう…?」 私は云った。 「おい、幽霊屋敷が有るぞ。」 向うで柳沢が叫んだ。 「有ったって、鉄兵君。」 私は2度目に吐く真似をした時の、柳沢の一瞬真剣な表情が、少し気になっていた。 「幽霊屋敷」を出た後、私は「少し休もうか?」と皆に云った。 「午後の部は、未だ始まった許だぜ。 全部乗ろうって云ったのは、お前だろ?」 柳沢は云った。 世樹子とノブも、全然疲れていないと答えた。 昼食の時間以外、我々は間髪を入れずに乗り物に乗り捲っていた。 決定的なダメージを彼に与えたのは、縦にローリングしながら動き廻る其の乗り物であった。 1回乗り終わった後で、私と柳沢は当然の様に、ペアを替えてもう1度乗ろうと云った。 彼女達は悲鳴を上げながら眼を閉じ、両側の握り棒を両手で確り握り締めていた。 そして我々は、自らの手を汚す事は愚か、何の危険も努力も無く、ゆっくりと彼女等のスカートの裏地や、ストッキングの普段では観れない部分を観賞する事が、更にクライマックスの瞬間には、其の日のショーツの色を確認する事が出来た。 「ローリング・サンダー」と言う名の、甘美な其の乗り物を降りてから、柳沢はトイレへ駆け込んだ。 「鉄兵君、世樹子ちゃんが呼んでるわよ。 柳沢君が…。」 私は柵に顔を着け、「ローリング・サンダー」の若い女性が乗っている車輌を選んで、眺めていた。 「眼が離せない処でしょうけど、一寸来て呉れる?」 「ああ…。」 私はノブの後ろに付いて、木陰にベンチが置いて在る処へ行った。 柳沢は自分のスタジャンを毛布の様に被って、ベンチの上で仰向けに寝ていた。 「柳沢、もう想い残す事も無いだろう…? 安らかに逝って呉れ…。」 近付いて私は云った。 「ああ…。」 濡らしたハンカチを額に当てられた下で、彼は呻く様に云った。 「食べて直ぐバイキングに乗ったのが、いけなかったのね。 そして私が背中なんか叩いたから…。本当に御免なさい…。」 「違うよ…。 そもそもの原因は、ゆうべの酒と睡眠不足さ…。 気分がおかしくなったのは、さっき『ローリング・サンダー』を降りた時だよ…。」 泣き出しそうな顔をして、側に腰を落としている世樹子に柳沢は云った。 「私、救急の医療所を捜して来る。 鉄兵君達、柳沢君をお願いね…。」 世樹子は立ち上がって云った。 「いいよ。 止して呉れ…。 此の儘、1時間許放って置いて呉れれば、大丈夫だ…。」 柳沢は弱々しい声で云った。 私はノブと一緒に其の場を離れ、乗り物に乗りに行った。 世樹子は柳沢の側に付いてると云って、其処に残った。 「私が、おむすび迄作ろうって云ったから、いけなかったのね…。」 歩きながら、少し肩を落としてノブは云った。 「一体、どう言う事だい?」 「知ってるわ。 鉄兵君と柳沢君が、無理して全部食べて呉れた事…。」 「考え過ぎじゃない? だって、俺は全然平気なんだぜ。」 「本当に鉄兵君は元気ね…。 無茶する事に、もう慣れ切ってるって感じ…。」 「私って、そんなにいつも、顔が笑ってる?」 ノブは云った。 「え…、どうして…? 香織の奴…。」 「いいのよ。 前からよく云われてる事だから…。 香織も云った事有るのよ。」 「何て酷い女なんだ、彼奴と来たら。 そんな事云うなんて…。」 「1人で居る時、鏡を視てシビアな顔の練習してるのよ。 みんなで居る時も、心掛けようとするんだけど、駄目ね。 生まれ付きだから…。」 「御免よ。 でも、笑顔を曇らせる練習なんて、止めなよ。 勿論、君は常に笑ってなんかいないさ。 君の微笑みが素敵だから、其の残像が急度いつ迄も残ってしまうんだよ…。」 幾つかの乗り物に乗った後、二人は柳沢と世樹子の居る処へ戻った。 柳沢は起き上がって、世樹子とベンチに坐っていた。 「何だ、生き返ったのか。」 私は云った。 「ああ、済まなかったな…。 もう大丈夫だ。」 柳沢の顔からは、未だ蒼味が抜けて無かった。 「駄目だなぁ…。 お前と一緒の事をやってて、いつも俺の方が先に息切れしちまう…。」 柳沢は両手をベンチの上に突きながら、云った。 「其れは、お前が健康な証拠さ。」 私はベンチの背凭れに両手を掛けた。 「此れ以上続けたら壊れてしまうって事を、身体がちゃんと教えて呉れてるのさ。 俺の場合、もう見放されてるんだ…。」 世樹子とノブが上空の飛行船の上から、笑って手を振っていた。 「お前と俺の違いを、世樹子に指摘されたよ…。」 柳沢は背を前へ傾け、膝の上に肘を突いて云った。 ── 私とノブが行ってしまった後、柳沢は膝を立てて上体を下へずらし、世樹子にベンチに坐る様云った。 「あ、私はいいのよ。 どうぞ、脚を伸ばして頂戴。」 「否、もう伸ばしてるのに疲れて、立てて居たいんだ。」 「有り難う…。 じゃあ、坐らせて貰うわね。」 世樹子は柳沢の頭の横に腰掛けた。 そして柳沢は胸焼けに耐えながら、遊園地の騒音を遠くで聴いている内に眠りに就いた。 眼を覚ました時、彼は色々な音楽や機械の音が随分近くでしている事を、少し不思議に感じた。 激しいむかつきは、どうやら消えていた。 背中が酷く痛いのに気付いて、彼は起き上がった。 「気分は、どう…?」 世樹子は未だベンチの端に坐っていた。 「平気みたいだ…。 君はずっと其処に居たの?」 「ええ…。」 「退屈したろ。 鉄兵達は…?」 「2人で楽しんでるんじゃない?」 「1度も戻って来ないのか。 君も一緒に…。」 「遊園地って飽きない処ね。 此処から、乗り物に乗ってる人や歩いてる人や、立ち止まってる人や色んな人を視てると、とっても面白かったわ。 本当よ。 次から次へ、新しい人達が遣って来ては、立ち去って行くの…。 若いカップルに一番興味を惹かれたわ。 街で見掛けてる時は、そんな事全然無いのに、此処だと何故か其の二人の過去や未来の物語が解るの…。」 「余っぽど、暇だったんだな…。」 「柳沢君の寝顔も、楽しませて貰ったわよ。 でも、鉄兵君たら、少し冷た過ぎるわよねぇ? 病人を放って置いて、自分だけ乗りに行っちゃうなんて…。」 「ノブちゃんだって、行っちまったぜ。」 「鉄兵君が強引に行こうって云って、ノブちゃんは気にしながら仕方無くって感じだったじゃない。」 「彼奴はあれで俺に気を使って、乗りに行こうって云ったんだよ…。 でも、君が人の悪口を云うなんて、初めてだな。」 「あら、そんな事無いでしょ…。 私だって…。 柳沢君って、純粋に優しいのね。」 「純粋ってのは、何だい?」 「柳沢君と鉄兵君が少し違う処よ。」 「どんな処が違う?」 「ベンチに坐れって云って呉れたでしょ。 あんな時、鉄兵君だったら、どんなに気分が悪くても、膝枕を要求する事を忘れないわ…。」 ── 「何だ、皮肉を云っとるだけじゃないか。」 私は云った。 「否、そうじゃない。 世樹子は…。」 「私が、どうしたですって…?」 世樹子とノブは、此方へ向かって歩いて来る処だった。 「君は病人の側にずっと付いていて遣れる、優しい女だって事さ。」 私は云った。 「どうせ、悪口云ってたんでしょ。 いいですよだ…。」 世樹子は笑顔の儘、口を窄めた。 朝からずっと雲に遮られる事の無かった日差しも、いつの間にか大きく傾き、我々の影を長くしていた。 どうしても、もう一度「スカイ・ダイバー」に乗りたいと云う事になり、入退園口の方へ歩いた。 柳沢は矢張り再発が怖いので、乗らずに下で待っていると云った。 私はノブと乗った後、世樹子と一緒にホームへ入った。 「今日は実に有意義な日だったな…。 何より大きな収穫が1つ有った。」 私は世樹子に云った。 「そうでしょうね…。」 「其の収穫は何か、訊かないの?」 「訊かなくても、解ってるわ。 でも、まあ一応、訊いたげましょうか…。 何…?」 「はい、どうぞ。」と係員が云い、二人はゴンドラに乗り込んだ。 「君が遊園地を本当に好きだって、解った事さ。 朝、云った様に、もっと早く教えて呉れれば良かったんだ。 当然、近い内にもう1度行くだろう? 遊園地へ…、今度は2人限で…。」 「誰と…?」 世樹子は、1度造り掛けた微笑みを抑えて云った。 「訊かなくても、解ってるんだろ?」 「解らないわ…。」 「君と俺の2人限でさ…。」 「鉄兵君、期待してるわよ。 絶妙のテクニックを見せてね。」 「ああ、此れで3度目だから、もうプロだぜ。 手加減しないけど、好いかい?」 彼女は懐かしい笑顔を見せた。 「もちよ…。」 突然、私はゴンドラを回転させた。 彼女は短い悲鳴を上げた。 「此の程度で其れじゃあ、心配だなぁ。」 回転を停めながら、私は云った。 「そう…、良かった。 今のは、鉄兵君に気を使ったのよ。」 「ほぉ…、態と怖がって呉れた理由か…。」 「決まってるでしょ…。」 ベルが鳴った。 彼女は握り棒を、両手で確り握り締めた。 「よぉし、其れじゃあ、ぶっ壊す積もりで思いっ切り行くぜ。」 彼女は全身に力を込めた。 ゴンドラはゆっくりと動き始めた。 〈四六、豊島園遊園地[中編]〉 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2007年03月22日 22時22分15秒
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