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悠久の唄 ~うたの聴けるブログ~

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2005年11月17日
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   54. 香織の失策


 翌、13日は金曜日だった。
夜、私は柳沢と部屋でテレビを視ていた。
ふと、窓の外で、女の声がした様に思った。
「今、何か声が聴こえなかった…?」
私は柳沢に尋ねてみた。
「別に…。」
柳沢は画面から眼を離さずに云った。
(『鉄兵君…。』)
又微かに、女の声が聴こえた。
「ほら…。」
どうやら声は私を呼んでいる様だった。
「鉄兵君…。」
非常に弱々しい声だった。
「あれ? 
本当だ…。」
柳沢は宙に視線を移し、耳を側てながら云った。
私はカーテンを開け、窓硝子を横へ引いた。
「鉄兵君…。」
もう一度、声がした。
下を視ると、1階の短い屋根の先に女の顔が有った。
世樹子だった。
「何だ…。」
私は笑った。
下へ降りて行くと、世樹子が哀しそうな顔をして立っていた。
「どうしたんだい? 
そんな顔をして…。」
私は云った。
「どうもしないわよ…。」
彼女は小さく笑った。
「そう…? 
何故、真っ直ぐ上がって来なかったの?」
「…鉄兵君が何度目で気付いて呉れるかな、と思って。」
「ふぅん…。
其れで、難聴テストの結果はどうだい?」
「…うん。
まあまあね…。」
「とにかく、そんな処にいつ迄も立ってないで、部屋へ上がりなよ。」
「ええ…、有り難う…。」
世樹子は玄関の中へ入り掛けて、横を視た。
「誰か、居るの?」
そんな気配がして、私は訊いた。
「そうなの…。」
そう云ってから、彼女は「さあ、入りましょう。」と、後ろに声を掛けた。
玄関の陰から、香織が現れた。
「今晩は…。」
はにかみながら、香織は云った。

 部屋へ入ってから世樹子が語った処に依ると、香織は何とかもう一度私とやり直したいと云い、世樹子は是非そうすべきだ自分も応援すると云って、其の夜、私の処へ二人で交渉に来たのだった。
私は急に不機嫌を装った。
「考え直す予定は、ないかしら…?」
香織は云った。
「私に直す処が有るのなら、全て改める様努力するわ…。」
「私からも、お願いします…。」
世樹子が云った。
「そんな冗談を云う為に、君達はわざわざ遣って来たのかい?」
私は口を開いた。
「冗談では無いわ。」
香織は其れ迄浮かべていた薄い笑みを、表情から消して云った。
そして彼女の顔は少し蒼ざめて視えた。
「じゃあ、俺を侮辱しに来たんだ。」
「侮辱なんてしてないじゃない…。」
香織は眉の間に、哀しみを漂わせて云った。
世樹子は黙っていた。
柳沢も黙った儘、テレビに視線を向けていた。
「あなたを侮辱してる様に聴こえたのなら、謝るわ…。
今直ぐ元に戻して欲しいなんて、云ってるのじゃないのよ。
唯、あなたに、ほんの僅かでも其の予定が有るのなら、私は自分の駄目な処を直して、少しでもあなたに相応しい女になる様、努力するわ。
でも、予定は未定なんだから、ずっと永遠に戻れなくても、あなたは何も気にする必要無いのよ…。」
私は相変わらず、不機嫌な表情をしていた。
「何か云って頂戴…。」
「…君は一体、本気でそんな事云っているのか? 
とても正気とは思えない。君の云った事は、其の姿は、最早恋愛では無い。
俺は、二人の姿をそんな風にしようと思って、云い出したのでは勿論無いし、君が云う様にしなければ、俺は人と付き合えないのなら、俺は片輪だ…。」
「私達は二度と戻れないって事ね…?」
「…ああ。」
「…どうしても駄目かしら?」
「駄目だ…。」
私は云い放った。
「そう…。」
香織は渇いた表情をして立ち上がった。
「御免なさい…。
馬鹿げた事を云って…。
…其れじゃあ、…失礼するわ。」
そう云うと香織は、さっさと部屋を出て行った。
世樹子も彼女の後を追って行き、部屋の中は元通り私と柳沢の2人になった。

 「簡単には切れて呉れそうに無い様子だな…。」
柳沢は云った。
「そうかもな…。
でも、今夜の事は、半分冷やかしの積もりだろう…。」
私はリモコンを押して、チャンネルを替えながら云った。
「冷やかしなんかでは、無いと思うぜ。
彼女は真剣さ…。
急度此れからも、手を変え品を変え、此の部屋へ遣って来ると思うな。」
「そりゃ来るだろう。
俺は彼女に絶交を云い渡した覚えは無い。
彼女も俺も、ファミリーの一員である事には変わらない…。」
柳沢は香織の行動に腹を立てている様だったが、彼女達が帰った後も、其れらしい事は口にしなかった。

 11月15日、其の日曜の昼過ぎ、私は未だ夢の中を浅く彷徨っていた。
醒め際に、ノックの音が何度も聴こえた。
「…はい…。
開いてます…。」
私はドアの方へゆっくり顔を向けながら云った。
「まあ…、未だ寝てたの?」
ドアを開けたのは、香織だった。
「そんな厭な顔しないでよ。
恥知らずな女だと思われても仕方無いけど…、今日は違うのよ。」
「否…、未だボーッとしてるんだ…。」
続いて世樹子が入って来た。
「鉄兵君、寝てる場合じゃなくてよ。
遂に、憧れの人との御対面よ。」
「何なんだ…、一体…?」
私は眼を擦りながら、弱々しく云った。
「是非逢いたいって云ってたでしょ? 
木暮さん…。」
「え…? 
あの…、例の?」
「ええ。」
「今、居るの…?」
「そうよ。
鉄兵君の為に、連れて来て挙げたの…。」

 以前、柳沢やヒロシから、伊勢崎女子高校には「木暮篤子」と言う名の絶世の美女が居た話を、私は何度も聴かされていた。
「久保田と仲好いから、鉄兵も其の内、御眼に掛かれるぜ。」
と柳沢は云った。
木暮篤子は現在、前橋の予備校に通っているとの事だった。

 「…其れで、何処を狙ってるの?」
私は彼女に訊いた。
彼女はコタツの中に膝と両手を入れた儘、恥かしそうに下を向いた。
「彼女は私達と違って、とっても頭良いのよ。」
世樹子が云った。
「私達ってねぇ、あなた…。」
香織は笑いながら云った。
「是非、東京に来給え。」
私は云った。
「受かって、是非そうしたいわ…。」
彼女は云った。
「来年は楽しみね、鉄兵君。」
「うん。
篤子ちゃん、君は必ず合格する。
でも、東京は物騒な処だから、俺が色々と面倒を見て挙げよう。
安心して頼って来給え。」
「猶、物騒じゃないの…。」

 木暮篤子は長いサラッとした髪の、上品な顔立ちをした女だった。
中肉、中背で、何処かお嬢さんと言った雰囲気を持っていた。
長い時間、私の部屋で談笑した後、我々は外へ出て、中野駅の方向へ歩いた。
「好いわねぇ…。
私、断然、都会暮らしに憧れちゃったわ。
今は毎日が本当に辛いの…。」
私と彼女は、香織と世樹子から少し離れて前を歩いた。
「今日中に帰っちゃうのか…。
もう1日位ゆっくりして行けば好いのに。」
「そうしたいわよ。
でも、明日から又予備校に行かなきゃだから。
来年東京へ出て来れる為にも…。」
彼女は自動車の修理工場をぼんやり眺めながら歩いた。
そして今度は、後ろの香織達の方を視て云った。
「鉄兵君の事、香織ったら、とても自慢そうに話すのよ。
けど、香織が羨ましいわ…。」
「…俺と彼女とは、もう何でも無くなったんだよ。」
「ゆうべも香織が其れっぽい事云ってたけど、嘘なんでしょ…。
今日、二人を視ていて、とても仲好いのがよく解ったわ。」
「本当なんだ…。
もう終わってるんだよ。」
香織と世樹子は愉しそうに何か喋っていた。
「若し本当なら、今日、鉄兵君の処へ私が行けた筈無いじゃない。
全く…。」
彼女は私の言葉をまるで信用して無い様に云うと、足を止め、香織達に声を掛けた。
「鉄兵君、ちゃんと木暮さんを口説けた?」
後ろの二人はニヤニヤしながら我々に近付いて来た。
香織が何か云い、篤子は声を立てて笑いながら、香織の肩を叩いた。
私は彼女を傷付ける為だけに付き合って来たのだ、と言う事を改めて思った。
3人の女はとても愉快そうに喋り合い、私は歩きながら煙草に火を点けた。


                           〈五四、香織の失策〉





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Last updated  2007年11月08日 18時54分18秒
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