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悠久の唄 ~うたの聴けるブログ~

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2005年11月23日
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   62. 復讐


 詳しく状況が把握出来ない儘、私は愛を失くし掛けていた。
ずっと眼覚めは悪かった。
翌12月11日、金曜の朝もそうであった。
私は布団の上に半身を起こし、最悪の気分で煙草を吸っていた。
外は良い天気らしかった。
時計を視ると、間も無く正午になろうとしていた。
重い手足を動かして支度を済ませると、布団は敷いた儘にして部屋を出た。
矢張り、空は快晴だった。
枯葉に覆われた舗道を歩いて、早稲田通りとの交差点迄来ると、勧銀の前の電話ボックスに入った。
呼出音が途切れると、「もしもし…。」と言う声が聴こえた。
世樹子は部屋に居た。
「あれ? 
居たの…。」
「…ああ、
鉄兵君…。」
「1人?」
「ええ、部屋を片付けてたのよ。」
「今から、そっちへ行っても好いかい?」
「え…?」
「今、勧銀の前に居るんだよ。」
「鉄兵君、今から学校へ行く処なのでしょう?」
「そうだけど…。」
「駄目よ、ちゃんと行かなきゃ。
午後の授業には出て頂戴…。」
「授業には出るさ。
其の前に、一寸逢いたいんだ。」
「…。」
世樹子の沈黙に、私の心は今にも挫けそうになった。
私は其れを必死に堪えた。
「逢いたいんだ。
今から。」
私は繰り返した。
「…駄目よ。」
「…駄目ってのは、どう言う事なのかな?」
「鉄兵君…、…私達もう、逢わない事にしましょう…。」
全身を何かが駆け巡った。
其れは哀しみと言うより、果てしない痛みだった。
私は懸命に口調を整えた。
「どうしたんだい? 
急に…。」
「どうもしないけど…、もう鉄兵君に逢うのは…、止めようと思うの…。」
「どうもしないで、逢いたく無くなったのかい? 
一体、良ければ理由を、聴かせて欲しい…。」
世樹子は又黙った。
「香織の事が、やり切れなくなったの…?」
「…ええ、…そうなの。」
(何故だ…?)
私は心の中で叫んだ。
確かに、香織と同じ部屋に同居している彼女に取って、友を裏切る行為に等しい私との秘密の交際は、毎日を辛くするに違い無かった。
然し…、
(俺達二人が離れるより、もっと辛い事が、他に有ると云うのか…?)
世樹子は以前、「嵐は来るかしら?」と云った。
私は「ああ、多分…。」と答えた。
そして彼女は、「私、嵐なんて平気よ。」と云った。
「香織と、何か有ったのかい?」
私は、あの児童公園に居た夜、香織は我々に気付いたのだと、確信した。
「香織の事は、矢張り俺に任せて呉れよ。
今日か明日にでも、俺から香織に話をするから。」
香織はあの夜、ジャングル・ジムに居た私と世樹子を視たに相違無かった。
私は自分の迂闊さを呪った。
もっと真剣に世樹子を守らなければならなかった事に気付いた。
「とにかく、今から逢って呉れないか?」
「鉄兵君…、…あのね、…違うの。
香織ちゃんの事は、本当は関係無いの。
逢わない事に決めた理由は、…私自信の気持ちなのよ。
私の中で…、もう鉄兵君に逢わないで置こうって、そう決めたの…。」
一瞬、私は彼女が何を云っているのか解らなかったが、直ぐに気が付いた。
気付くと同時に、胸に何かが込み上げて来た。
最早、立っていられそうに無い状態だった。
其れでも私は、声を振り絞った。
「其れは、どう言う意味なんだい…?」
「だから…。」
私は「君の気持ちが、冷めてしまったと言う意味かい?」と、訊く事が出来なかった。
「…だから理由は、私の気持ちって事なのよ。」
私は涙を堪え始めていた。
「世樹子…、お願いだ。
せめて、最後に一度…、君に逢いたい…。」
私はやっとの思いで、そう云った。
「…解ったわ。
…じゃあ、今から、其処へ行くわね。」
私は受話器を置いた。
今にも涙が溢れ出しそうであった。
(こいつは駄目だ…。
彼女はもう無理だな…。)
涙を止めるには、そう考える必要が有った。
12月とは思えない程の、風も無く、よく晴れた暖かい日だった。

 私は心を立て直して、世樹子を待った。
電話ボックスを出てから30分近く経った頃、彼女は横断歩道の向こう側に姿を現した。
二人共、いつもとは違う笑顔を見せ合った。
ブロードウェイを抜けて、サンモール商店街を歩く間、我々は殆ど口を開かなかった。
私は未だ、世樹子の本当の心が読めないで居た。
唯単純に、フラれたと言うだけの事の様な気もした。
其れならば、早々に別れて立ち去るべきであった。
然し、私の中には、「彼女は私を好きな儘、別れようとしているのではないか?」と言う、希望的観測が有った。
私は最後になるかも知れない、其の二人限の時間に、全神経を集中させて彼女の心を読み取らねばならなかった。

 中野駅前のビルの地下に在る喫茶店で、二人は向かい合って腰を下ろした。
ウェイターがテーブルの側を離れてから、私は煙草に火を点け、そして云った。
「…でも、突然だったので愕いたよ。
俺みたいな、いい加減でどうしようも無い男でも、失恋と言うのは堪えるから…、不思議と云えば、不思議だ…。」
世樹子は俯き加減に坐っていた。
私は彼女の表情のほんの細かな動きも、見逃さない積もりだった。
そして、まるで其れを厭がるかの様に、世樹子は顔を半分隠していた。
「ところで、クリスマスはどうするんだい?」
「私…、パーティーには、出れないと思うわ…。」
「香織に続いて、君も中野ファミリーを抜ける理由だ。」
「ええ…。実は、もう直ぐ引っ越しするのよ。」
「…引っ越しって、…。」
私には愕く事許だった。
「引っ越しって、君だけかい?」
「いいえ、香織ちゃんも。
二人共、彼処を出るのよ…。」
「又、2人で住むの…?」
「違うの。
今度は別々に住むの。」
私は引っ越し先を訊く事に、気が引けた。
「そう…。
又、偉く急な話だ…。」
「…さっきも、部屋で荷作りの準備をしていたのよ。」
「じゃあ、引っ越すのは今年中?」
「香織ちゃんはね…。
もう新しい部屋も決まってるし、予定通りなら、あさって越したいって云ってたわ。
…私は未だ次の部屋見付からないから、もう少しは彼処に居ると思うけど、…。」
「今迄2人で住んでたから、急に1人になると淋しいんじゃない?」
「…其れは大丈夫と思うわよ。
今迄だって何度も1人っ限で寝た事有るし、香織ちゃんと鉄兵君が付き合ってた頃なんか特に…。」
「世樹子、君が好きなんだ。
僅かでも好いから、君の時間を俺に呉れないか…?」
私は不意に云った。
「君と逢っていたいんだ…。」
「…鉄兵君…。」
世樹子は完全に下を向いてしまった。
其れ以上、彼女は何も云わず、黙り込んだ。
私は彼女を見詰めていた。
私に取って、哀しい沈黙が流れた。
彼女は顔を挙げようとしなかった。
泣いているのかも知れなかった。
私は、もう立ち上がるべきだと考えていた。
其れ迄の私なら、疾っくに「其れじゃあ…。」とでも云って、店を出ている筈だった。
私は、自分が其れ程惨めなシーンを演じている事を、不思議に思った。
然し、私は立ち上がれなかった。
其の理由を、私は既に知っていた。
私は彼女を愛していた。
そして私は、初めて人を愛したに違いなかった。
私は、此れ以上彼女を苦しめる理由にはいかないと、思い始めていた。
「御免なさい…。」
沈黙の果てに、彼女はそう呟いた。
其れは私に取って、何より辛い言葉だった。
私は静かに失恋と言う現実を受け止めようとしていた。
「御免ね、鉄兵君。」
世樹子は不意に顔を挙げた。
彼女は泣いてはいなかった。
「黙って置こうと思ったけど、矢っ張り本当の事を話すわ。
実は…、私が鉄兵君に近付いたのは、香織ちゃんの復讐の為だったのよ…。」
「え…?」
思いも寄らぬ世樹子の言葉に、私は自分を失った。
「あなたが香織ちゃんと付き合ってた時から、あなたが香織ちゃんを本当に好きで無い事は、誰の眼にも明らかだったわ。
香織ちゃんに随分酷い事をしたわ…、鉄兵君は。
鉄兵君が酷い人だとは充分解ってるけど、でも許してしまうと香織ちゃんは云ったわ。
いいえ…、香織ちゃんは、付き合ってるからと言って、鉄兵君に自分を好きになる事を強制するのは間違いだと云ったわ。
許す許さないの問題では無いと云ったわ…。
でも、私はどうしても許せなかった。
そして私、復讐する事に決めたの。
あなたに…。
あなたが私を本当に好きになったら、…あなたを捨てようと思ってたのよ…。
あなたを傷付ける為に。」
世樹子は淡々と語った。
私は余りにも無防備であった為に、衝撃すら感じる事が出来なかった。
唯、全身の血が何処かへ消えて行くのが解った。
私は蒼い顔をして、茫然と彼女を見詰めていた。
世樹子はもう其れ以上、口を開かなかった。
再び沈黙が始まった。
やがてゆっくりと、私は自分を取り戻し始めた。
「復讐…。」
彼女の云った其の言葉が、頭の中で繰り返されていた。
「復讐…。」
最早其の言葉に、恐怖は感じなかった。
私は全ての報いを受けていた。
唯、自分の犯した罪に対する罰を、全身に浴びていた。
其れを拒もうとはしなかった。
其れ故、恐怖は無かった。
私は静かに眼を閉じた。
其れ迄哀しみに満ちていた心は、いつしか晴れやかに澄み渡っていた。
世樹子に初めて逢った、「高月庵」での事を想い出していた。
彼女は白い三角巾に白いエプロンをしていた。
香織の隣に現れた彼女に、私は既に心を引かれていた。
彼女と過ごした時間が、心の中に順を追って甦って行った。
同窓会の夜、香織の鍵を持って私の部屋を訪れ、いきなり泣き出した彼女を飯野荘へ送って行った事。
隅田川花火大会を観に行って、皆とはぐれてしまい、二人限になった事。
六本木のディスコで偶然逢い、チークを踊った事。
オート・テニスをしようと伊勢丹へ行き、定休日だった時の事。
サン・プラの前で、1つの毛布にくるまって二人で寝た事。
新宿の雨の夜。
授業をサボって、豊島園へ皆で行った事。
東京観光専門学校との合コン。
二人でコタツを抱いて帰った時の事。
後楽園遊園地。
私は眼を閉じた儘、静かに回想に耽っていた。


                             〈六二、復讐〉



 完膚無き迄に打ちのめされ、まるでボロ着れの様に
 彼は、世樹子の前に坐っていた ─

 優れた洞察力で、相手の心の動きを見抜き、
 彼はいつも自信に溢れて、その言動は周囲の者を魅了した ─

 酒と女と、罪と復讐 ─

 もはや希望は絶えたのか?
 果たして彼は、甦る事が出来るのか ─

┌──────────────────────────┐
│ 其の時、電車が遣って来た。
│ 「やった!」
│ 我々は元気を取り戻した。
│ 「未だ電車が走ってるって事は、そんなに長い時間
│ 迷ってた理由でも無いんだ。」
│ 我々は、希望の電車を見送った。
└──────────────────────────┘

 彼等は何度も希望の電車を見送っては、
 現実に打ちひしがれて来たのだ ─


 次号、いよいよ準最終回!





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Last updated  2007年11月07日 20時37分18秒
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