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カテゴリ:小説「愛を抱いて」
63. 鉄兵の様に ~中野ファミリー解散~ 私は眼を閉じた儘、静かに回想に耽っていた。 心は穏やかだった。 想い出の中の彼女は、いつも優しかった。 そして私は気が付いたのだ。 彼女のあの優しさは、造り物なんかでは無いと…。 私は既に、女の復讐に対する免疫を持っていた。 愛を知って、私は本当に人を信じる事の出来る人間に成長していた。 彼女の優しさは、偽りでは無かった…。 大いなる絶望の淵で、私は気が付いた。 そして、勝負に出ようと思った。 唯、敗れた時の残酷さを考えると、ぞっとした。 考えていては、迷い始めると思った。 私は勝負に出た。 「…嘘だ。」 私は微笑みながら云った。 「其れは嘘だ…。 愕きたいけど、俺には解ってしまうよ。 君が好きだから…。 でも、どうして俺なんかをフるのに、そんな嘘迄付くんだい?」 最大の賭けであった。 世樹子は表情を変えなかった。 私は優しく彼女を見詰めた。 彼女は冷め切った視線を下げて、テーブルの端の方を視ていた。 ふと彼女の唇が歪んで、何か言葉を云うのかと思った瞬間、彼女の表情が大きく崩れた。 其の瞳に突然、涙が溢れた。 世樹子はテーブルに両肘を突いたかと思うと、其の中に顔を埋め、声を上げて泣き出した。 「…私、どうしても鉄兵君が、好きなのよ…。 …でも、別れなきゃ、いけないのよ…。 …でも、好きなのよ…。」 私は勝った。 全身の緊張を解きながら、いつの間にかテーブルの端にそっとコーヒー・カップが置かれているのを知った。 泣いている世樹子を視て、もっと早い内に、彼女の演技に気付いても良かったと思った。 勧銀の前から電話を入れた後位には、解っても良い筈だった。 世樹子は前から、直ぐに泣く女であった。 別れ話のシーンで、彼女が涙を見せない筈は無かった。 私は煙草に火を点けながら、そんな事を考えていた。 世樹子も午後の授業には出ると云い、喫茶店を出ると二人で中野駅のホームへ向かった。 「結局、香織については、どうなってるんだい?」 電車を待っている間に、私は訊いた。 「…其の事は、もういいのよ。」 世樹子は遠くを見詰めながら答えた。 風も無く、穏やかで暖かな一日だった。 香織と世樹子の引っ越しは、中野ファミリーに決定的な動揺を与えた。 イヴの夜に予定されていたクリスマス・パーティーは、ほぼ中止になる事を皆、承知していた。 其れより中野ファミリーの存続自体、危うくなった事を、全員が胸に抱いた筈だった。 私は語学の試験に追われていた。 12月17日の夜、私は翌日に控えた英語Bの試験の為の勉強を、部屋でしていた。 明日の試験が終われば、めでたく冬休みと言う夜であった。 其処へ、柳沢がヒロシと一緒に帰って来た。 「鉄兵、久保田の引っ越し先が解ったぜ。池袋だってさ…。」 私の部屋に入って来るなり、柳沢が云った。 「そう…。」 私は素っ気なく答えた。 「鉄兵ちゃん、勉強中かい? 邪魔しちゃ悪いかな…。」 ヒロシはウィスキーのボトルを抱いた儘云った。 「否、もう止めてしまおうと思ってたとこさ。 どの道、今夜勉強しようがすまいが、明日の試験の出来に影響は無い…。」 そう云って、私は教科書を部屋の隅に投げ出した。 「全く、酷い話だ。 フー子も、もう三栄荘には来ないって云い出してんだぜ。」 柳沢は紅い顔をして、吐き捨てる様に云った。 「洗濯機も俺達が払った金額を渡すから、買い取らせて欲しいってさ。」 「矢っぱ、久保田に遠慮してるのかな…?」 2杯目が少なくなった私のグラスに酒を注いで呉れながら、ヒロシが云った。 「いいや、あの口調は、もう俺達には飽きてしまったって感じだったぜ。」 「ヒロ子やノブは、どう云ってる?」 私は訊いた。 「逢ってないから解らないけど、ノブは駄目だろう。 完全に久保田の息が掛かってるもの。 ヒロ子も他の女がみんな、そっぽを向いてるのに、1人で来て呉れる事は考え難いな…。」 「愈々中野ファミリーも崩壊か…。 随分あっけ無かったな。」 「…俺、ヒロ子とノブに逢って、説得してみるよ。 今度は彼女等にメインになって貰えば好い。 二人が来れば、世樹子も首を縦に振るだろう。」 私は云った。 「鉄兵ちゃん、世樹子とはもう個人的に付き合った方が好いよ。 ファミリーとは別にさ。」 「そうだな…、其の方が好い。 何と云っても今度の事では、世樹子が一番可哀相だものな。」 柳沢が云った。 「否、そうは行かない。 行かせてなるもんか…。 大体、香織1人の所為でファミリーを解散するなんて、俺は絶対に許さないよ。 必ず阻止して見せる。」 私は、そうは云ったが、ヒロ子とノブを口説く自信が、其れ程有る理由では無かった。 寧ろ世樹子の為には、ファミリーを解散した方が好いと思っていた。 柳沢もヒロシも最後には、「中野ファミリーは諦めよう。」と、そう云った。 手料理を諦めれば済む事だと言う風に話は纏まった。 私は解散式を行う事を提案した。 其処で彼女達に、どうしても一泡吹かせてやりたいと云った。 柳沢とヒロシは「来て呉れるだろうか?」と、首を傾げた。 私は、責任を持って彼女等全員を集める、と云った。 日時は次の日曜の夜と決まった。 一年を締め括るには格好のパーティーだと、柳沢は云った。 「今更謝っても、仕方の無い事だが…、済まないと思ってるんだ。 俺1人の個人プレーの所為で、折角ここ迄盛り上がったチームを潰してしまって…。」 私は静かに云った。 「何だい、急に…。」 柳沢は云った。 「誰もそんな事、思っちゃいないさ。 潰れてしまったのは、寧ろ俺達の力が足らなかった所為だよ。 大体此のファミリーは、鉄兵1人の力で成り立った様なものだ。 俺達も、もっとパワーを出せていれば良かったんだ。 俺達にも、お前位のパワーが有れば、急度こんな事にはならなかった筈さ。」 「そうだよ。 鉄兵ちゃんが居なかったら、中野ファミリーは存在して無かったよ。 本当、鉄兵ちゃんは凄いよ。 俺も出来れば、鉄兵ちゃんの様に成りたい。 鉄兵ちゃんは、俺の目標だ…。 ずっと手の届かない女だと思ってた世樹子だって、鉄兵ちゃんはいとも簡単に、好きにさせてしまうんだもの…。 いつか急度、俺も鉄兵ちゃんの様に成りたいんだよ。」 「おいおい、一寸待てよ。 気を使って呉れてるのは解るけど…、俺は唯、運が良かったに過ぎないさ。 女にフラれた事なんて星の数程有るぜ、俺は。 中野へ来てからは、付いてただけなんだ。 其れに、フー子はお前等二人のどちらかに惚れてると、俺はずっと睨んでんだぜ。」 「否、フー子もお前に惚れてるよ…。」 柳沢は云った。 「フー子も鉄兵の事が好きなんだよ、急度…。 唯、彼女は香織や世樹子と違って、今立って居る処から翔ぶ事を中々出来ない性格なのさ。 俺には解るんだ、何と無く…。 フー子は結構気の強そうに見えるけど、実は三人の中で一番臆病なんだと、俺は思う…。」 其の年の冬は割合に暖かだった。 12月の半ばを過ぎても、冷え込む日は少なく、過ごし易い日々が続いた。 然し、中野の空には、依然暗雲が立ち込めた儘であった。 私は、世樹子をあの様な行動に駆り立てた、其の本当の理由を突き止めなければ、ならなかった。 私の知らない処で、何かが起こってしまったのだと、私は考えていた。 其の事はもう、間違い無かった。 そして、解散式の日、12月20日は遣って来た。 結局、集まったのは、フー子と世樹子と香織の3人だけであった。 外が薄暗くなった頃、ヒロシを私の部屋に残して、柳沢と2人で酒の買い出しに行き、再び部屋へ戻った時には、女達は既に遣って来ていた。 「其れにしても解散パーティーだなんて、あなた達って最後迄、宴会の名目をよく考えるわね。 ほんと陽気って云うか、めでたいって云うか…。」 皆のグラスに氷が入れられている時、香織は云った。 「唯、けじめを着けたいだけさ。 ところで、今夜は差し入れの摘みが、何処にも見当たらない様だが…、何処に隠してるの?」 柳沢はボトルのキャップを開いて、グラスに酒を注ぎながら、部屋を見回した。 「まさか…。」 「私達が何か作って来るのを、充てにしてた理由?」 「否…、何も無いの…?」 「本当、最後迄めでたい人達ね…。」 「俺、行って、直ぐ買って来るよ。」 そう云うなり、ヒロシは部屋を駆け出て行った。 「そうか…、最後の手料理の期待も、水泡に帰したか…。」 柳沢は呟く様に云った。 「結局、私達って手料理だけが目的で、此処へ呼ばれてたのね。」 「其れは違う。」 「いいのよ…。其の位の価値しか無い、其の程度の女と見られてたって事よ…。」 「当たり前だろ。 他に何か有るとでも、思ってたのかい? 君等は唯の、飯炊き女さ。」 突然、私は云い放った。 女達は、一瞬動作を止めた。 柳沢も、愕いた様に私を振り返った。 私の表情から、皆は私の言葉が冗談では無い事を、読み取った筈だった。 パーティーは乾杯の前から、荒れ模様となった。 「そう…、まあ最後に良い事を聴いたわ…。」 香織が云った。 「酷いわ、鉄兵。 どう言う積もりよ。」 フー子は怒りを顕にして云った。 「冗談にしても、酷過ぎるわ。 私、許せなくてよ。 今の言葉、取り消してよ。」 「此の人は、冗談でも本気で云う人よ。 取り消す必要は無いわ。 大方、最後に精一杯の厭味を云ってみたか、其れとも最後だから本音が出たって処でしょう。」 其処へヒロシが戻って来た。 「あれ、俺の為に乾杯待ってて呉れたの? 先にやって呉れてて、良かったのに。」 買い込んだ菓子や摘みを並べながら、ヒロシは云った。 「そうさ、お前を待って遣ってたんだ。 早く坐れ。」 柳沢が云った。 【次章、最終回!】 〈六三、鉄兵の様に〉 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2007年11月07日 12時22分11秒
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