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カテゴリ:ゆうとのの日記
昭和42年頃、6歳頃の僕は、広島市の霞町に住んでおりました。。 親が公務員だったので、とてもポロい官舎におりました。。 当時の覚えている風景は・・、 大学病院があって、その手前を宇品線の線路が横切り、 踏み切りの右手(病院に向かって)に「大河(おうこう)駅」があり、 駅前には、バスのロータリーがあって、本屋が2軒ありました。。 今、調べてみると、「大河駅」ではなくて、「上大河駅」だとのこと。。 僕はずっと、「大河駅」って言ってました。。 駅前の本屋のおばさんに、立ち読みの常習犯である僕は、 いつも睨まれておりました。。 官舎は、踏切を渡って、(病院に向かって)左側の方へ 歩いて行った所にありました。。 「上大河駅」とは反対側にある、段原の古本屋にも、 僕はよく行き、「ゲゲゲの鬼太郎」などを立ち読みしておりました。。 僕が通った、「中島保育園」は、当時、 平和公園の向かい側(今の「ニッセイ平和公園ビル」の辺り)に、 経営元のお寺と一緒にあり、 すぐ隣には、幼稚園がありました。。 「中島保育園」は今、すぐ近くの違う場所にあります。。 僕も妹も通った、3歳保育の「ゆりかご」は、 今も同じ場所にあるようです。。 あの頃、「バスセンター」は、ビルではなく平地でした。。 ネットで上の写真(昭和40年代の「上大河駅」)を見つけたのですが、 どうもピンと来ません。。 あの上大河駅前のロータリーの写真が残っていれば、ぜひ見たいものです。。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2009年06月17日 16時47分03秒
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