愛犬ランの死とフロントガ-デン 第2章 私たちができた精一杯のこと
愛犬ランの死とフロントガ-デン 「第2章 私たちができた精一杯のこと」(第1章は 「病魔を感じてやれなかった私」)です (クリックして下さい)8月26日金曜日私は山形市に出張をしていた。夕方7時頃に妻から、返りの高速道路走行中に電話が入った。症状が悪いため、精密検査をさっそくしたそうだ。その結果、第1に、子宮の肥大、第2に、尿道結石による腎不全、第3に、心臓に虫が湧いている。ウジ虫は治まったとのこと。そのため、内臓の機能低下に陥り手術が必要かもしれないとのこと。手術をすべきかどうかは、帰ってから話し合いをして決めるとの先生の話だ。実は山形高速道路の返り、妻から電話が来る前に、不思議な光景に遭遇した。暗闇の高速道路を何かが駆け足で、横断しているような気がした。おもわずブレ-キを踏んでしまった。この高速道路は、猿などが出没するようなので、猿かなと思った。ランのことは全く考えてもいなかった。今考えると、「死期の知らせ」であったと思う。家に帰ると、話が違っていた。すでに手術をしている。どうしてと、聞くと、「手術を早くしないと死ぬ恐れがある」と先生からの連絡があり、高速道路走行中の私に連絡が取れなくなったので、長女と話しをし、手術をして頂く事にしたとのこと。先生からは、「こんなに丁寧に毛を切り、ウジ虫を捕ったのだから、これからもできる限りのことをやりましょう」と勧められたようだ。妻に「手術して助かるのか」と聞くと、「判らないが、できることはやりたい」と。「手術代はいくら」と聞くと、「入院も含め約20万円」。チョット驚いた。私はそれまで掛ける価値が本当にあるのだろうかと、疑問に思った。病院も冷静さが掛けていると思った。それにしても、ランが一番なついでいた私の意見も聞かず、手術をした事は少しがっかりした。妻達は、病院に行けば殺すとでも思っていたのだろうか。妻はあんなに勧められれば、手術をするしかないと言い、長女は病院代を持つと、言っていた。妻と私はランの最悪について、話をしていた。私は安楽死も考えるべきとの主張。中途半端に苦しみながら生かすのはランが可愛そうだし、看病も難しいためだ。知り合いのペットショップでは、病弱になると安楽死をせざるを得ないと,言っていた。かわいそうだが、本人のためでもあると。その後は、火葬にし「産業廃棄物」となる。そのことを妻に話しをした。妻はできるだけのことはすべきで、安楽死はその後に考えようとのことである。私は冷たい人間に映ったみたいだ。手術は2時間近く掛かり、9時30分過ぎに連絡。無事手術は終わり、さっそく、妻と末娘と病院へ行った。摘出した肥大していた子宮は、1.4キログラム。普通は小指程度の大きさと、婦長さんからの説明である。急に大きくなった訳でなくて、昔から大きかったようだ。そのため、太って見えていたのだ。私は、婦長さんに、手術して助かるのかと聞くと、「これからも、できるだけのことはしてやりましょう」と勧められた。入院は1週間の予定で、その後に帰宅できるとの話である。「こんなに内臓が悪いところばかりあるのに、手術をして助かる見込みがあるのですか」と再度聞いた。「もし、助かっても日中看病する者がいない状況を、先生は考えて頂いたのでしょうか」と聞くと、「続けて入院をしてはどうか」との返答である。「費用はいくら掛かるのか」と聞くと、「とりあえず、手術と1週間入院で20万円。できるだけのことはやりましょう。悔いを残さないようにしましょう。支払いは分割でもいいです」との回答。私はがっかりした。話しが反対ではないかと思った。私が「できるだけのことをしてください」とお願いし、医者が「手術をしても駄目かもしれないが、それでも手術しますか」と言うのなら解るが、あべこべだと、憤慨した。私はこんな状態では2、3日が山ではないですかと聞くと、「1週間は大丈夫です。その後は解りませんが...」と言っていた。もうこれまでやっていただいたので、後はお願いする他ないと、腹を決めた。ランは手術台の脇に寝ていた。婦長さんとの話しをしていた部屋とは、カ-テン一枚で仕切られていた。今までの話しがランに全て筒抜けである。なんか申し訳ない気がした。ランは、麻酔をしているため、目がトロンとしている。「ラン」と呼ぶと目を向けた。点滴をし、尿道管が取り付けられている。頭をなでてやると、少し安心している様子で、目を細くして喜んでいる。震えも無くウジ虫もいないので安心した。面会はできる限り時間外とし、連絡を入れてから来て下さいとのことである。いつまでも看病をしたがっている娘をなだめ、明日また来ることにした。家に帰ってから、手術が一応成功したので家族全員安心し、ランが戻ったらどこで看病したら良いかの話題となった。今まで家の中に居たことが無いので落ち着かないだろうとか、便の処理が大変なのでトイレを作り「しつけ」をしようとか、玄関を改造して看病しようなどの話しが出た。今まで、食事や散歩もあまりしなかった者が、急にやさしくなっている。とにかく家族で頑張ろうといった、カラ元気の明るい話題であった。9月27日 土曜日午前中に娘たちが病院に行った。退院後にどのように介護をしたら良いか、などを聞いてきたようだ。当面は、家の中で飼ったほうが良いとのアドバイスを受けたようだ。ランはだいぶ落ち着いた様子とのこと。私は午前中仕事、家内も仕事である。仕事が終えてから、一緒に病院に行く事にした。手術したばかりなので不安もあるが、早く回復ができればと期待しながら、帰宅後、妻と末娘と一緒に病院に行った。点滴のため腹が膨れている。点滴を80cc注入しているが、排尿は20cc、自力で排尿が出来ていない。麻酔はすっかり取れていて、目が生き生きとしている。元気になってきている。頭をなでてやると、目を閉じて、気持ちよさそうに甘えてきた。先生は、油断が出来ないので夜遅くまで様子を見ると、約束をしてくれた。帰り際に「ランまた来るから」と呼びかけると、寝ていた上半身を持ち上げ、「もう行くの」とも言うような目で見送ってくれた。これが最後の分かれとなってしまった。9月28日 日曜日土曜日、日曜日に私が休みであるが、妻は仕事。そのため、私が送り迎えをすることになっている。妻を送る途中に電話が入った。隣で「バツ」のサイン。早朝に亡くなった。電話が来る前に、いつまで生きられるかとか、退院したらどこで介護をしようかなどと、話をしていた。その矢先の知らせである。もう少し長生きができると思っていた。残念、無念であった。 日曜日の今日は、動物用の火葬は休み。「火葬にしたら、産業廃棄物の骨になってしまうな」と妻に声を掛けた。妻は、「あなたは冷たい。私が死んだら骨を産業廃棄物と同じ扱いをするの」と詰め寄った。「冷たいなら、今までランの面倒をみないだろ」と切り返した。お互いに気が動転していたようだ。妻の会社から大きなダンボ-ルを頂いた。午前中に病院から引き取り、家出供養する事にした。帰宅の途中、あんな事もあった、こんな事もあったと、走馬燈のように頭の中を流れた。いざ、死んだと解ると、さすがの冷たい私も涙がこめてくる。ランは番犬としての家族の一員でもあり、隣の店にくるお客さんの人気物でもあった。花好きと犬好きの方には、特に人気があった。私の小さなフロントガ-デンの客寄せには、無くてはならないものとなっていた。この次は、「ランの生い立ちとフロントガ-デンの人気もの」について話をします。