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カテゴリ:旅行
石庭で有名な「龍安寺」
拝観受付のある山門までは石の道を歩いていきます 徳大寺家の別荘だったのを管領細川勝元が譲り受けて寺地とし 妙心寺の義天玄承を開山として創建 応仁の乱で焼失したあと 勝元の子 政元が再興しましたが 火災にあって方丈・仏殿・開山堂が焼失 現在の方丈は その時の西源院の方丈を移築したものです まだ暑かった8月の終わり ここまで歩いてくるだけでも 汗ばんで 木陰があるからいいようなものの どのくらい歩くのかと思いながら池を眺め まだ きれいに咲いている睡蓮の花に癒されたりします かつては おしどりが群れ遊んだところから おしどり池とも呼ばれたそうです 池に架かる橋を渡って少し歩くと おしどりならぬ「あひるの親子?」 池にあひる・・・ってお決まりみたいだけど和みますね 両端に竹垣が設けられた石段が風流 石段の正面に見えてきたのは庫裏 簡素だけど重厚な感じがします この石庭は 東西25メートル南北10メートルの空間に白砂を敷き詰め 15個の石を配置した枯山水の庭 室町末期のころ作られたそうですが 作者は不明 15個の石は 庭をどこから眺めても 必ず1個は他の石に隠れて見えないようになっているそうですが 龍安寺のパンフレットでもこの話には触れていなくて でも・・・ 真ん中くらいから見ると15個の石は全部見えます ただし 隠れてはいるけど見えている・・・ということです^^ 野暮な話はやめておいて 自由な解釈で・・・ということなので・・・ 気まぐれに置かれただけのような石を眺めているだけで まったりとした穏やかな気持ちになるのは やっぱり名庭なんでしょうね 外国旅行者の石庭ブームということなのか なぜか外人さんばかりが目立つような気がします 方丈の内部も撮影OKなのかと思いきや 本来ここには狩野派の手による71枚もの襖絵があったようですが それらは明治期の廃仏毀釈の困窮により売却されてしまい 現在のものは昭和に描かれたものだそうです(納得) この時手放した襖絵が2010年にアメリカのオークションに出品され 落札者が匿名で龍安寺に寄贈したそうで 狩野派の絵師である狩野孝信の作と言われる「群仙図」20面のうち4面と 「琴棋書画図」20面のうち2面が戻ってきましたが 公開されていないので残念です 方丈の北東にある銭形のつくばい よく見えないけど 中心の口の部分を共用すれば 吾唯足知(ワレタダタルヲシル)となり 「足るを知るものは貧しといえども富めり、足るを知らぬものは富めりといえども貧し」 という 禅の格言を謎解きに図案化された 無言の悟道で 水戸光圀の寄進と言われているそうです 秀吉が称賛したと今も伝えられる「侘助」の老樹 日本最古のものだとも言われています 建物の外に出たら だれも歩いている人はいなくて あんなに大勢いた人たちはどこに行っちゃったんでしょう 広ーい池泉回遊式庭園を独り占め 緑が多くて森林浴をしている気分です 鏡容池という大きな池の周りを歩着ながらの帰り道 池の中の石が動いてる・・・と思ったら 亀!! お庭だけでなく亀にも癒された世界遺産の龍安寺でした 帰ってから調べたら この石 水分石(みくまりいし)と言うそうで(とても読めないが) 景色にアクセントを付ける意味と 池の水量を測る役目を果たしているのだそうです 勉強になりました
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