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カテゴリ:旅行
京都の市街地の北西 大文字山(左大文字)の北側には 鷹ヶ峯・鷲ヶ峯・天ヶ峯の山の連なりがあり その麓のあたりは鷹峯と呼ばれています 花札の8月のススキは この鷹峯の山を模したものとも伝えられています 今回 鷹峯で最後に向かったのが「光悦寺」 青もみじの美しさに言葉も忘れ 思わず見入ってしまいました 本阿弥光悦(ほんあみこうえつ)が元和(げんな)元年(1615)に 徳川家康より約9万坪もの鷹峯の地と176石の支配権を与えられ 多くの芸術家、工芸家や一族とともにここに移り住み 今で言う芸術村を築き 偉大な足跡を残しました 後に光悦一族の位碑所が現在の光悦寺となりました 本阿弥光悦は永禄元年(1558)京都生まれ 江戸初期随一の文化人で 家業の刀剣の鑑定、研磨のほか絵画・陶芸・書道・作庭など あらゆる分野に優れていて独創的な才能を発揮しました 角倉素庵らと優美豪華な嵯峨本を作ったことでも知られています 寛永の三筆に数えられた「書」のみならず陶芸や漆芸にも秀で 俵屋宗達と共に「琳派」の祖と言われます 琳派の大きな特色は 実用と鑑賞を一つにした美しさで 今現在も私たちの着ている着物を始め あらゆるデザイン・意匠・生活を彩る芸術作品を始め色々な分野に大きな影響を与え 日本人の美意識の基盤といえるようです 80歳で没する前の太虚庵に閑居した晩年は風雅三昧に入り浸ったといわれています 参道のあふれんばかりの青もみじと長く続く石畳が静かな気品を感じます 石畳も 沿道の苔も 並木の緑も 何もかもが洗練されていて でも心地よさを感じるところ 肩肘張らずに 自然体で散策できました ここまでは拝観料なしでも見ることができます こけむした境内には、大虚庵や三巴亭、了寂軒など5つの茶室が点在し 三巴亭には高村光雲作の光悦坐像が祀られています 庭にも光悦の美意識は徹底されていて 大虚庵には「光悦垣」と呼ばれる珍しい竹垣があります 光悦垣は上部に太い竹を水平に置き その下に竹を矢来(やらい)状に組んで締める独特の工法の垣で 臥牛(ねうし)垣とも言われています いろいろなお宅の庭でよく見るこの竹垣 「光悦垣」という名前だということも知らなかったなぁ 建物の内部は一般公開されていないのが残念ですが 季節の草花を眺めながらお庭を歩いて 疲れたらベンチでちょっと一休み 小川のせせらぎの音も聞こえ 借景の鷹峯を見たりしながら また広い庭をゆっくり散策して 贅沢な時間を過ごすことができました この時期 こんなに新緑が綺麗なのに観光客も少なく おすすめのエリアです
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Last updated
2015年06月20日 21時54分07秒
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