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カテゴリ:旅行
次男に女の子が生まれました 今まで子供も孫も男の子ばかりで華やかさがなかったけど やっと お雛様も飾れるし・・・楽しみ 子供たちも それぞれ家庭を持ち 家も建て 何とか自分たちで生活していける見通しも立ち やっと子育ては卒業かな? そんななか よく見るブログの中で こんな記事を発見 「水子は お母さんを恨んでなんかいない それどころか 自分が産まれてくるだけの条件が整っていないのを よく理解しているので 自分がこの世に生れなかったことで お母さんの負担をなくすことができて よかったと 喜んでいるんだよ だから ごめんなさいじゃなくて ありがとうと 言ってあげてね」・・・ 私も二人目の時に流産をしてしまい 水子供養はしてあるけれど 孫たちに囲まれた日々の生活の中で その子のことは忘れかけていたことに気づき 京都に行ったときに 予約なしでも 写経をさせていただける所を探しました 三十三間堂の東向かい側にある「法住寺」 平安時代中期 藤原為光が夫人と娘の菩提を弔うために創設したお寺で かつて広大な寺領を誇っていました 長元5年(1032年)に焼失してしまいますが 永暦2年(1161年)のちの後白河法皇がこの地を院の御所と定め 「法住寺殿」として自身の死後を守るお墓を造営しました。 院の御所ということで 二条天皇や高倉天皇など多くの皇族がここを訪れ 平清盛の娘・徳子(のちの建礼門院)が入内したことでも知られています 後白河法皇は66歳で崩御すると 法住寺殿内の法華堂に葬られ 明治時代まで法住寺は法華堂を守ってきました 維新以降 宮内省の所管に移り大興徳院という寺名になりましたが 昭和30年には大興徳院から「法住寺」へと復称されました ちなみに法住寺の西側にある「三十三間堂」は もともと法住寺殿内のお堂のひとつでした 三十三間堂の1001体の観音様は 法皇を極楽浄土に導くため 後白河天皇陵に向いています 写経の前に まず本堂に入り ご本尊の身代り不動明王の正面に座り焼香 次に阿弥陀堂に案内してもらい 塗香(ずこう)というお香を使います 左手の掌に塗香をいただいたら 右手の人差し指と中指を使って 指先に付けます 付けた塗香を下唇に 唇を口の中に含みます 残った塗香は両手ですり合わせ 身体全身に塗り身体を清めます それから いよいよ写経ですが なかなかじっくり文字を書くことが少なくなってきているので 適度の緊張感の中 心を落ち着かせる時間が持てて よい体験でした 実は法住寺は忠臣蔵好きには見逃せない 大石内蔵助祈願のお寺でもあります 江戸時代の元禄期 播州赤穂の浪士・大石内蔵助が京都の山科に潜んでいた頃 この不動明王を参拝し 討ち入り前に成功祈願をしていました 大石内蔵助は法住寺が妙法院の院家であるのを利用し 祇園へ通う道すがら宮方からの情報収集や同士との作戦会議の場として使っていました このご縁から法住寺では浅野内匠頭長矩をはじめ 赤穂浪士四十七義士の木像が祀られています 四十七士全員が揃った木造は珍しく 細部にまでこだわった服装も見どころです また、法住寺では討ち入りのあった12月14日に、「義士会法要」を毎年行っています この日は宮川町の芸舞妓さんが法要に訪れお点前を披露 お抹茶を振る舞います(有料ですが) 参拝者には討入りそばのお供養もあります この日は普段公開していない書院なども見ることができます ちなみに法住寺はサザエさんの作者・長谷川町子さんの菩提寺でもあります 平家物語がお好きで 物語に登場する法住寺によく来ていたそうで 堂内には長谷川さんの直筆イラストも飾られています 後半の写真は「後白河天皇 法住寺稜」 三十三間堂までは来たことがあっても 法住寺まで足を延ばしたことがなかったので こんなに由緒あるお寺だとは知らなかったけど とても静かで心落ち着く場所でした 機会があれば また写経もしてみたいです
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