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2015年10月07日
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カテゴリ:旅行



龍潭寺は井伊家の菩提寺だという話は前回もしましたが

お庭に出て散策をすると

元祖共保公より二十四代直政公までの墓地があり

そのまま進むと隣の井伊谷宮に行くこともできます


井伊谷宮は1872年(明治5年)井伊家によって建てられた神社で

南北朝の動乱期に 井伊家のもとに身を寄せ北朝方と戦った

後醍醐天皇の皇子の宗良親王を祀ってあります

井伊谷宮

龍潭寺と井伊谷宮の間には

宗良親王の墓と伝えられる塚がありますが

残念ながら 立ち入り禁止で内の様子は分かりません

井伊谷宮

延元元年(建武三 1336)

井伊道政が宗良親王(後醍醐天皇第四皇子)をこの地に迎え入れ

井伊谷は東国における南朝の拠点のひとつになりました

宗良親王は 元徳二年(1330)二十歳の時に天台座主となり

元弘元年(1331)に元弘の乱で讃岐国に流されますが

元弘三年(1333)に鎌倉幕府が滅亡すると再び天台座主となります

その後 南北朝の動乱の中で延元二年(1336)に還俗すると

井伊谷・越後寺泊・信濃大河原など

東国各地で南朝勢力を挽回するための活動を続けました

そして 弘和元年(1381)に完成した新葉和歌集の編者として名前が見えるのを最後に

確実な史料からは名前が見られなくなります

没年は不詳ですが『南朝紹運録』には元中二年(1385)八月十日に井伊城にて死去とあります

また 井伊谷の西には宗良親王の弟の無文禅師が開山となった方広寺がありますが

宗良親王がこの地に埋葬された際には無文禅師が導師として奉仕されたと伝えられています

井伊谷宮
 
宗良親王は どんな境遇に陥っても不撓不屈 初志を貫き

希望を捨てずにひたすら正義のために一生を奉げたこと

また 幼少の頃から和歌に秀で「和歌の道の聖」と仰がれたことから

学問・心願成就・開運の神として敬われています

井伊谷宮

境内には 宗良親王歌碑・水原秋櫻子句碑・絵馬史料館などもあります

境内は 広くもなく どちらかと言えば小さな神社ですが

明治5年に明治天皇の思し召しにより御鎮座

翌明治6年に静岡県でも数少ない官幣社(井伊谷宮は官幣中社)という格式の高い神社となりました

昭和5年には昭和天皇が御親拝になり

昭和58年には現在の天皇皇后両陛下がご参拝されるなど

皇室とも大変に関係の深い神社です

大河ドラマが決まってから

地元を見直す いい機会になりました

今回 まわれなかった「方広寺」も次回ぜひ行ってみようと思います


龍潭寺

龍潭寺の玄関に飾ってあったお地蔵様

地元の作家さんの作品らしいですが可愛くて 

龍潭寺 みやげ

お香立てを買ってしまいました

お香と言えば

龍潭寺で炊いていたお香の香りが好きで

こちらも一緒に購入しましたが

よく見たら「松栄堂の堀川」でした

ここで京都のお香を買ってしまったか・・・と思いましたが

やっぱりいい香りです^^


もう1つ余談

井伊直政の境遇が家康の幼少のころの境遇と似すぎていることから

家康が 家系図を操作して

側近のなかで優秀だった少年に対して井伊の姓を与えて

名家を乗っ取ろうと画策したという説もあるそうで・・・

事実 直虎は 天正10(1582)年に没するまで

成長し活躍した直政に家督を譲渡することはなかったため

井伊家を守るための直虎の抵抗だったと考える説もあるそうです

ドラマの展開も楽しみです






こちらも 私の大好きなお香







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Last updated  2015年10月07日 20時16分02秒
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