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テーマ:男の子3兄弟の子育て(996)
カテゴリ:人生観いろいろ
うちは、3兄弟の年の差が長男と次男が2学年、二男と三男が3学年。
大学生になったら学費が大変と分かっていたので、ほぼ0歳の時から一人1万円ずつの 学資保険に加入していた。 3人で3万、親の保険が二人で3万、個人年金が二人で3万国民年金が二人で当時約3万 子どものキッズ保険が4000円位、、、、と、住宅ローン以外に固定でいる保険費用が とても負担だった。 そして、3人が10代の食べ盛りになると食費もかかる。 小遣いも要る。そして、最低限の子供の衣服費、塾代、、、、 主人も仕事(自営業)を頑張っていたが、変動もあり、バブルが弾けて収入の大幅ダウン 主人からの家への給料は、保険代と住宅ローンで消えた。 私の収入は、生活費(食費、公共料金代)と教育費と考えていた 私も子供が小さい時はパート程度の収入で何とかなったけれど、 子供が大学受験をする頃には 20万の稼ぎを家計に入れることが絶対に必要だった。 営業職で、20万の収入を確保していたけれど、成績不振で20万の収入が確保できないと わかった時崖っぷちに立たされて、今の職場に就職することになった。 子育てと家事と仕事を両立する為に看護師資格で働くことを避けていた。 それは、学校の長期休暇の時に子供が小さい時には見てくれる親戚などがいなかったことと、 田舎に帰る為の主人に合わせた正月、盆、GWの長期のまとまった休みが取れないこと。 主人の休みに合わせて土日祝の休みが欲しかったこと。 20万の収入を得る為には夜勤も必要だけど、夜、家を空けたくなかったこと。 ちゃんとご飯を作って食べさせて、学校へ送り出したかったこと。 それらの自分勝手な条件が、営業成績を上げてさえいれば自分の裁量で収入も休みも自由に 出来ていたので資格を活かすことにこだわりがなかった。 でも、今振り返るとあの時に、元の職場の社長に崖っぷちに立たされ、 自分の気持ちの踏ん切りを迫られ今の職場に転職する機会を与えてくれたと、 背中をどんと谷底に向けて押してくれたことを感謝している。 実際に10年間、いい辞め方ではなかったので、元職場に顔を出すことも出来ず、 元社長に面と向き合うことも出来なかったけれど、 今の職場で10年務め、自分なりに保育士や社会福祉士の資格も取って頑張っていることの 自信が持てたことで挨拶に行くことが出来た。 逢った瞬間涙が溢れ、言葉にならないような「あの頃は、ありがとうございました。 ずっと逢いに来たかった。意地を張っていました。」とだけ言った後、抱き合って泣きました。 私にとって、精一杯頑張っていた思い出のある職場の事を、気軽に訪ねられないことが 本当に辛かったんだとその時改めて感じて、そしてわだかまりを持っていたのは 私自身の心の中にあった、どうでもいい意地の気持ちだったんだと気づきました。 でも、その意地の気持ちがあったから、 新しい職場でも足を踏ん張って頑張れたんだと、、そうも思います。 収入を得る事、息子達が大学に行く事を諦めないで済むように、 親として出来るだけ頑張ること、その気持ちがあったから頑張れました。 辞めることを決めたあの瞬間の光景、社長の言葉、 私にとっての大きな転機となった瞬間でした。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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