カテゴリ:手づくりカントリー
今日は、ネットカフェからの更新です。
恒例になりました、2ヶ月に一度の父の眼科の通院日なんです。 先週は、透析のシャントの治療のため、 一泊入院をしましたが、また今月中に 心臓の検査を受けることとなりました。 来月には、昨年受けた仕事に入ることになりました。 単発で、しかも時間の融通がきくというので 透析に送り出した後、その足で職場に向かい、 父の透析の間だけ仕事をしてくるのも可能なんです。 週に数日の出勤でもオーケーなので なんとか物入りのお正月に向けて がんばってみようかなと思っております。 さて、百徳通信の第1号をこちらにアップします。 以前にブログで書いていた手作りのことと 重複する部分もあると思いますが、 (頭の中ではあれを書いて、これを書いてと 現在イメージ中です) 気を長く持って読んでくだされば・・・と思います。 -------------------------------------------------------------------- 百徳通信 ~時を紡ぐ、想いを紡ぐ~ vol.001 ---------------------------------------------------------------------- 人の歴史と共に始まる布の歴史・・・ 古布にこめられた想いを語る百徳通信を発行しております。 ---------------------------------------------------------------------- ~ 白絣 ~ 誰もが最初の出会いを持っていることと思います。 私の古布と出会いは、2002年にさかのぼります。 その頃私は鳥取に住んでいて 絣のパッチワークを始めて作りました。 絣の作品でに心ひかれたのが、白絣でした。 その教室では先生から布をわけていただいたのですが、 どうしてもその白絣を手に入れたくて 初めて鳥取の風庵という骨董のお店を訪ねました。 そのお店は、今yahooオークションにも出店しています。 民家の2階に古布がところ狭しと並んでいて、その多くが絣でした。 鳥取は、絣の産地でもあったので蔵に多く眠っているんですね。 その頃の価格で、白絣は1m1500円。 びっくりしましたが、はぎれで初めて購入しました。 その後、両親の住む石川に移り住むようになりました。 そして、あらたな事実を知ります。 私が過去に住んでいた中能登町こそが、 白絣である能登上布の産地であったということです。 転勤族であった私は、中学の頃に移り住んだその町の 歴史について何も知らなかったんですね。 白絣は、木綿の絣よりも歴史が古いです。 なぜなら、麻で作られていたからです。 この麻は今リネンとして手作りの流行の先端に位置していますが、 その歴史は縄文までさかのぼるんですね。 さて、布の歴史を共にさかのぼっていくことにしましょう。 ---------------------------------------------------------------------- お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
[手づくりカントリー] カテゴリの最新記事
|
|