私の読書歴 その22 《神》
《神》ってことばが英夫さんに判る? 《神》っていうのは《忘れる》っていうことなの。 みんな忘れるのよ。自分自身さえ忘れて愛するのよ。 それが神なの。判る?けれどね、私は忘れることが出来ない。 私自身を忘れるなんて―そんなことは出来そうにないのよ。 明後日の手記の中のもう一つのテーマは、神でした。戦争が始まることで、神を信じる人々の心に動揺が生じるのです。神はどこに行ったのだろう・・・と人々は、考えはじめます。そして、神を見捨てる人が出てくるのです。妹と私の通った幼稚園は、クリスチャン系の幼稚園でした。その後、小学校に入っても日曜学校に通い、妹は高校の頃、洗礼を受けてクリスチャンになりましたけど、私は小学校の時の引越しを機にその後は、日曜学校に足を運ぶことはなかったのです。それは、私が盲目的に神を信仰するようなタイプではなかったからかもしれません。忘れる、とは盲目的になるということなのでしょうか?私は子ども心に覚えているのです。日曜学校の場は、私にとって居心地のよい場所では,なかったです。牧師の言葉は私の中に少しも入って行きませんでした。たぶん、私が心を閉ざしていたからでしょう。私は、幼い頃、自閉症に近い心を持っていたようです。常に外界に対しては、おびえていたのだと今は思います。ですから、教会で聞いた神という言葉よりも、この小説の中で読んだ、《神》の方が私の心に残ったのです。その言葉の意味を深く考えることはしなかったのですけど、ノートに書きとめたのはそういうことだったのでしょう。そして、それが遠藤周作との『沈黙』との出会いへとつながっていったのかもしれません。