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カテゴリ:ありのままの自分で
(注。申し訳ございませんが、その1 からお読みください。)
もう一回の経験は、感動しすぎて涙が止まらなかった時です。 この人生で「最も感動した時のこと」を話すのには、田舎の大親友の「人生で最も辛い話」を少なからずしなければなりません。親友はこの話に触れてほしくないでしょう。だから、どうしても先に自分の体験を話す必要があったんです。それが「(その1)」でした。 この体験もここ数年間、はずかしながら、心の奥深くにしまったまま、忘れていました。 「芽ばえ」の時期だからでしょうか、スーっと引き出しが開いたような気がします。 今から、十年近く前、田舎の大親友が不慮の事故でまだ小さかった子供を亡くしました。詳しくは話しませんが、想像を絶する悲しみに親友は二年近く心に穴を開けたままでした。 どんな慰めの立派な言葉も、真理も深い悲しみの前には無意味でした。 俺は、ただただ、近くにいてやるしかできませんでした・・・・・。 ただあまり言葉にはしませんでしたが、二年間ずっと俺の心の中であることをうったえ続けていました。 「○○ちゃん(親友に名)、これには何か深い意味があるはずだよ。あの子は何かを伝えるために来たんじゃないのかなー。。その役割を終えて安心して帰っていこうとしてるんじゃないのかなー。。。」 と。 何か、心の奥で「うん」とうなずけるものが、きっとあるはずって・・・・・・。 それから二年後、親友の奥さんのお腹に「新しい命」が宿るという奇跡が起きました。どうして奇跡なのかというと、 (これもものすごくプライベートな話になるのですが、これは美談なので、「親友よゆるしてくれ」。) 実は奥さんは結婚前に「子供の産めない体なのだ」と親友に打ち明けていました。 跡継ぎのほしかった親友は、それでもかまわず愛を貫き通し、結婚しました。 その二人の強い愛が奇跡を起こし、子供を生みました。 しかし、その子が天国に旅立ち、辛い辛い二年近い日々の末に、 産めない体だったはずの親友夫婦に、なんとまた奇跡が起きたのです! この知らせを自分は遠く離れた職場の公衆電話で聞きました。 感動で感動で人目もはばからず、大声で泣いてしまいました。 だって、ずっと親友が苦しんでいるのをそばでみていたから・・・。 そして目に見えない力をありありと肌で感じた瞬間だったから・・・。 親友には言ったことはないと思いますが、俺なりにこう思っています。 「愛は奇跡を何度でもおこせることを、教えるために、あの子が生まれ(天使が降りて来て)、親友夫婦に教え伝え終わったので、天に帰って行ったのだ。」と。 きっとうちの子もそうですね♪ ね?皆さんもそう思うでしょ♪ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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