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カテゴリ:ありのままの自分で
「手首を固定して、動かしちゃだめですよー。」 「ひじから体全体を使ってー!」 まいったなー。。。。。。。 何の意味があんの、これって???? 子供のころ書道を習っていたので少々の自信のある私だが、手首を使えないと どうにもこうにも上手く書けない。 「お手本は、このりょうかんさんの字です♪」 と、この意味不明な「書」の講座の先生は言う。(ずいぶん昔に受けた子供の教育セミナーでのこと。) 「天上大風」 有名な禅僧・良寛さんの書だという。 上の写真を見てもらえばわかかるように、うまいんだか、へたくそなんだか、「小学生の字?」って感じもします。 ただ、なんとなく、 見るものの心をとらえる味わいがある。 こういう書をいわゆる「良寛芸術」というそうだ。 まー普通、学校とかでは 絶対見本にはならない。 「書」の世界には 習気と奴書とがあるとのこと。 習気とは,書き癖がついて悪い意味で書き慣れてしまうことであり,書く行為がワンパターン化して感動が薄れてしまっていることを指すらしい。 もう一つの悪弊である奴書とは、奴隷の書,つまり物まね人まねの書ということらしい。ある特定の古典や先生の書風そっくりで,確かにうまい。うまいことはうまいのだけれど,書いた本人の独自性がなく要するに人まねの書にしか過ぎないものを指すらしい。 んー、、、、 「書」の話ではあるが 「俺の人生のこと?」って感じで、なんか耳が痛い。 ようは、いつもの自分の形にこだわらずに、体で表現してみろってことらしい。 手首を固定して書くんだから おのずとそうするしかない。 最初は思うように書けないことがもどかしく、 「何の意味があんの、これって?」 って、イライラ・・・・。 「上手いとこみせてやろう」って思ってたのに、、、、、 とうとう挫折しちゃいました。 そしたら楽になった。 何枚も書くうちに、 「なんか楽しくなってきたぞー♪」笑。 すごく自分の中にエネルギーが充満しているのを感じたし、開放感があった。 こんなに書道って楽しかったっけ?初めて味わう感覚だった。 書道は子供のころ長く習っていたので好きな事とおもっていたが 少し違っていたことに気づいた。 人より上手く書けるから、賞をいっぱいとれて人にほめられるから、好きだったのかもしれない・・・・ もちろん、基本を学び、訓練を重ねる事は重要なこと。どっちの「書」がいいかということではないのだろう。 この講座の先生は、こんなことを言っていたように記憶している。 「いい悪い、上手い下手の「書」の時間ではありません。」 「あなただけの表現をする時間です。」 「そして、子供たちのこういう表現を見逃さず、認めてあげてください。」 「観て感じる事をつたえてあげて、ほめてやってください♪」 このいっぷう変わった「書」の時間は、 忘れられないものとなった。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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