|
カテゴリ:自分の事&哲学&つぶやき&自慢話
またもや Yuko Fujiwaraさんとのコメント内容なんですが、銃に対しての日米の考え方を話してるうちに日米両国の歴史や位置背景や両国に住む私が実際に見聞きした事、また私の薩摩のご先祖についても書いたところでしたのでシェアさせて下さいね。日本は平和とよく言われますが本当の平和はいろんな国の色んな物を体験し各国に友達を作り豊かに愛し友情を高め合う事だと私は思います。宣教師時代に30カ国の方々と1年半共に暮らし宣教活動をし、更に豪華客船で世界中の船員と働き27カ国周り、今も世界中からのお客様へゴールデンドアで様々な価値観を学ばさせて頂いております。世界は広いですが人間は同じです。第一の世界平和は英語を取得されることと思います。話し合うことが出来る道具です。ゆうこさんも帰国子女でいらっしゃいます。>>>>>
昔は日本も138年前は廃刀令前は刀を持ち歩き、気に入らなければ切り捨てるということを階級によってはしてた民族ですからアメリカの銃に対しての当時の考えと同じだと思います。持ってないと切られるというか、、、そうですね、、、第二次世界大戦の敗戦後1945年は闘う為の軍は消え、、69年後の今は平和という意味がそうなりますね、、、あと30年もすれば戦争体験者はいなくなりますから当時を生きた方の感覚は全く現代人には消えますよね。 私のご先祖は遥か645年以前からの名刀を出してた薩摩の波之平一族と平家の落ち人で名刀を出してた奥一族なので、刀が消えることは魂を消すことだっただろうなあと思います。 廃刀令(はいとうれい、明治9年3月28日太政官布告第38号)は、1876年(明治9年)3月28日に発せられた「大禮服竝ニ軍人警察官吏等制服著用ノ外帶刀禁止」の太政官布告の略称。いわゆる帯刀禁止令のことである。大礼服着用者、軍人、警察官以外の帯刀を禁じる内容であった。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2013年12月30日 02時48分33秒
コメント(0) | コメントを書く
[自分の事&哲学&つぶやき&自慢話] カテゴリの最新記事
|