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今日がいよいよ発表会当日です。
しかし、最後の最後のレッスンでも 「間違えても止まらないように!」 とか言っていた私が悲しい。 だから、生徒さんたちのコメントが 「まちがえないように頑張ります」 になっちゃうのかなぁと今週1週間はかなり反省しておりました。 本当のところ 「まちがえない」「とまらない」 というところが、音楽を演奏することにおいてスタート地点 であります。 演奏者は常に「再現者」です。 楽譜を忠実に読み取って演奏すること。 それだけをすれば良いわけですが それのなんと難しいこと。 ただ曲を覚えて弾く、それだけではありません。 なぜここでフォルテと書いてあるのか。 なぜここでピアノとなるのか。 何も書いていないけれどここはどう感じたら良いのか。 そういうことを譜面から何か感じ取って それから弾く、それが本当。 本当のことをしたいですし 私がお教室で寄り添って譜読みをする場合 そういったことにはかなり突っ込んで 「どう思う?」とするのですが 曲全部の譜読みにおいてそれをする時間は とれないので「あとはお家で考えながら練習してね。」 ということになります。 お子さんの場合、いや、これは私の場合にもあてはまるのですが 何度となく弾いていると「あ、こうなのかもしれない」と 思い至ることがあります。 なので、先生の言いつけどおり、譜面通りに、ただ何も感じずに 弾くということがゴールなのではなく そこから、いったい何を感じ取ることが出来るのか ということが大事なのです。 演奏者は常に曲の「紹介者」でもあります。 私が中学の時師事していた芸大のクラリネットの先生も 常に 「音楽とはお料理だよ。美味しいでしょう?と言って出すことが できないとダメなんだよ。」 とおっしゃっておられましたが 最近のレッスンでも私は生徒さんに同じように言います。 最高の食材とは演奏においては技術。 味付けは感性。 そして、それはやはり何度も試行錯誤することによって 生まれるんだと思うのです。 食材が良くても味付けが悪かったり まぁ、素材が悪くとも味付けでなんとかなってしまったり。 食材を準備するにあたっては畑で無農薬栽培をするがごとく 地道に努力して。 感性を磨くにはやはり美味しいものを食べる(=良い音楽を聴く)ほかないでしょう。 そしてレシピに従って調理する。(楽譜をよんで演奏する) 何度も同じ味が出るまで調理する。 そしてはじめてシェフとしてお客様へ「どうぞ」と出す。 その作業を、どれだけの生徒さんがきちんとこなせているか。 また、緊張するにせよ、しないにせよ すべて練習は「自信」につながると確信しているので 「ここまで良くやった」と思えるくらいの練習量は必須です。 緊張する自分にエールを送ることができるのも練習量だけと 思っています。 しかしながら、この辺。 もしかしたら、もっと練習を辛く苦しいものでなく。 本番も「ただ楽しいだけのもの」 と思えるような何かがあるのではないか?と 考え中です。 昔ながらのスポ根は、やはりナンセンスなのか? (私はスポ根好きなのでこれにとらわれる傾向が多いにあります) もちろん、努力はいつでも報われると思いたいですが。 それが考え方次第でもっと簡単に大きな結果を生むことが できないか...と。 こういうのってコーチングとかで学ぶことなんでしょうか? 調べてみたいと思います。 さて、どんな風であれ、みんなとにかく頑張りました。 「その先のこと」にたどり着いている生徒さんが どれだけいるか...楽しみです。 出番前は「本番を楽しんで!」と言いたいですね。 たった1人でスポットライトを浴びることができることなんて なかなか無いですから。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
June 10, 2012 06:33:07 AM
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