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今週から無事、ハンドセラピーに毎朝通いつつも、職場に復帰した。初日オフィスに着いたら大きくて色とりどりの花束の花瓶と同僚の皆からの寄せ書きカードがデスクに置いてあって、お母さん代わりのコロンビア人の秘書さんのマギー、グループチーフのドイツ人上司ハンスと同僚の皆がたくさん集って迎えてくれた。チーフが自分達を第二のファミリーと考えてくれ、と言い、カードにはYou have no idea how much I missed you.と書いてくれていた。私は同僚のそんな心遣いに本当に感謝して、お礼を言い、別に頭を打った訳じゃないのでちゃんと仕事はできますよ♪と言ったらそんなに早口でそれを言わなくても大丈夫だよ、と笑われた。これからはまた独創的なエキゾチックな証券化案件などをやりたい、と言ったらハンスがうむうむ、と頷いていた。
本当にこんなにあたたかい、素晴らしい上司、職場はなかなかないのではないかと思う。上司のハンスはセラピーや治療を優先して時間帯は気にしないで来ればいい、と言ってくれた。こんなに良くされると転職なんてとんでもない、ずっとここにいるのが良いと思わざるを得ない。そういう風に思わせる上司はマネジャーとして本当の賢さを持った優秀な人なのだと思う。 久しぶりに先日クローズした案件のNYの融資先クライアントのファンドマネジャーに電話したら、復帰できて本当に良かった、ファンドのオフィス中にニュースが回って心配していたけど、君に我々ビジネス関係がお見舞いの電話すると君のことだからすぐ仕事にドライブがかかって気にするといけないから、時々君の様子を秘書さんやハンスに問い合わせて聞いていたのだよ、と言っていた。仕事のことを置いておいても、君がgreat personalityだからオフィスの皆が気に入っていたから皆で心配していたのだよ、と言ってくれたのは何より嬉しかった。普段は慌しいが、一度NYに来たら仕事抜きでゆっくりと今回の経験についてSUSHIに連れて行くから話しましょうとファンドマネジャーが言ってくれた。サンフランシスコのファンドの方も元気にしてるか心配してるので電話を下さい、というメールが入っていたので話した。クライアントだが、双方共に案件クローズ、資金調達まで達成して苦楽を共にした戦友、同志みたいなものだ。 復帰したとはいえ、たまった書類、メールの山をくずしていくのはなかなか大変だ。しかも、毎日セラピーと鍼その他あらゆる治療- 西洋医学の最先端と中国3000年の歴史の東洋医学を駆使して(笑)なんとかリハビリ、回復を促進しようと努力しているため、アポが毎日あって忙しい。しかも、復帰したばかりだとあらゆる人とランチなどでキャッチアップするため、余計に忙しい。でも今の私にとっては仲良い人や心配してくれた人に再会して会っていくのは心のビタミン♪なのでそれは欠かすことはできない。 また、遠く日本からも心配してくれる友人達にも思い切り感謝したい。ブログや伝え聞いて心配してメールを下さった人がたくさんいて、心からありがとうと言いたい。おととい日本の友人達からお見舞いプレゼントの小包が届き、仕事から疲れて帰ってきた時にとても嬉しいサプライズだった。速達で送ってくれたMさん、Tちゃん、Oさん、H君、わざわざ本当にありがとう!!!(読んでるか分かりませんが、この場も借りて御礼)日本のモノは本当に嬉しいものですね。あたたかい心遣い、どうもありがとうございます☆ DCでも、遠く離れていても応援してくれる友人達がいたから私は「明るい怪我人」で頑張ってこれました。 こういう怪我をしたことで人の温かさに触れられたと思う。私が手の怪我しているのを見ると、誰もが必ず実は私も昔、骨折して大変だった、とかこういう持病があって実は鍼に通っているんだとか(私の場合は持病ではなく、一時的な怪我なんですけど:-))怪我ではないけどこんな苦労話が、とか決まって語ってくれるのだ。某国際機関の偉い方も、私も去年君と全く同じ吊りを手にしたままで出張に行き、重いスーツケースとラップトップを持っていて本当に大変でその上寒い冬にコートをなくし、その他もハプニング続きでねーと語って下さって、そういう偉い方でも苦労なさったんだーととても励まされた。そういう事を話して元気付けようとして下さるのは本当に優しいと思う。また皆実はいろいろな悩みを抱えているものだと分かった。 今の私はこの地球上で何万人といるであろう怪我人や病人、体が一時的にか長期的にか不自由な人の気持が前よりずっと良く分かるようになった。やっぱり入院や怪我はしてみないと本当にはそういう人達の気持は分からなかった、と思う。今は電車の中で怪我人やお年寄り、妊婦がいると何をおいても敏感に察知してさささっと席を譲らなきゃ、みたいな気持になる。自分もまだ怪我人のカテゴリーですが(笑)前からそうでも敏感度合いが違うのだ。単なる礼儀やエチケットとしてでなく、体が大変なんだ、と分かるから。地球上の何万人、何億人?の気持が分かるようになっただけでも今回の経験は貴重だった。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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