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2012.03.12
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カテゴリ:つぶやき


震災から昨日で一年ですね。

いろいろな報道番組などが組まれていましたが、私、息子ともゆっくり
みられる様子ではないので、ふつうの日常に見ている番組をつけて
後はテレビも消して普通に一日を過ごしていました。

2時46分には出かけ先で黙祷。


離れたところにお住まいの方はやっぱり一年たったとは思っても
「もうたったんだなぁ」というのが実際のところなのだと思います。

私は被災県に住んでいるので本当にこの一年、あの日のことを忘れたことはありませんでした。
あの、揺らしてビルを守るタイプのちょっと古い免震ビルの高層階、
地面の揺れが終わってもいつまでも揺れていて立ち上がることもできない恐怖。
ビルが折れてしまうのではないかと思うほどで2階の防災センターの震度計は7だったそうで。
それよりも高層階にいたので信じられない強さでした。
一度収まりかけた揺れがまた強くなった時はもう駄目だと思いました。

後ほど外からそのビルを見ていた人の話を聞きましたがもうあり得ないほどの
揺れ具合だったそうです。

少し落ち着いて来てからもいつまでもなくならない停止したままの在来線に新幹線。
壁が半分落ちかけた古いビル(これは本当につい先週なくなりました)。
車ででかけると10分もしないうちに現れるいくつもの「遺体安置所」の案内標識。
仮設住宅も近くにあり本当に忘れられない一年間でした。

家があって、面識のある親戚は全員無事だった私でさえそうなので
直接津波の被害を受けている母のいとこやおばさんたち。
そのほかの多くの方々はまだまだ本当に苦しんでいることと思います。


まぁ、私は臆病なほうだと思うので、同じところに住んでいる人々の中でも
忘れずおびえて暮らしているのだと思いますが(苦笑)、
ひと段落した夏ごろからあらわれてきた体と心の不調はいまだ万全ではなく
時々ひょっこりと顔を出しては私を苦しめます。
それでも、仕事へ行き、ふつうの日々を過ごすことができることには感謝したいと素直にそう思います。

昨年の今頃は本当に30分おき位にやってくる余震、
電気のない中情報もとぎれとぎれにラジオで聞くのみ。
食べ物は豊富にあり、家族と乗り切ってはおりましたが
夫とはこの時点ではまだ連絡がとれておりませんでした。
夫のほうが安心な場所にいるとはいえ、やはり顔を見るまでは安心のできないもの。
家族の大切さをひしひしと感じたものでした。

それでも、この辺りはまだ「人」が落ち着いている人が多く
強奪などの事件も起こることもなく、お店での購入も整然とできていたので
それはとても助かりました。
正直、都市部は揺れよりも何よりも怖いのは「人」ではないかと思う今日この頃。
そういう人たちはほんの一部だけなのだとは思いますが
非常時に1人でもそういう人がいると伝線してしまうのではないかという
気がします。

周りが古くから住む世代であったことが幸いしていたのかもしれません。

震災時、生活の知恵がなく困ったのは大人よりむしろ
「一人暮らしの若者たち」だったそうです。
電気が使えないとご飯も食べられない、備蓄もない。
避難所に食べ物を求めてやってきたのは実は若者が多かったと
防災クラブの話でありました。

確かに、この辺りの秋の風物詩である芋煮(秋に大きな鍋で豚汁を作ってみんなで食べる)の
時も、大学生の男の子たちで薪に火をつけられず四苦八苦しているのを
よく見かけます。
便利さに慣れてわからなくなってしまっているのですね。
私は父に着け方をよく教わったものです。
だからなんの問題もなく付けられるのですが…。
我が家にも男の子がいますから、そういうときに最低火をつけることくらいは
できるよう、工夫して食事を用意できるよう、
教えていこうと思います。

ガスがなくても炊飯器でも最低限の調理はできるんだよ、とか
土鍋とガスボンベでもご飯は炊けるんだよ、とか。
そういうことって意外と知らないのでこれから徐々に、ですけれどね。


あの日のことは忘れないけれど、しっかりと足をつけて少しづつ前を見て
普通の生活をしていきたいと思います。

少しでも多くの人が笑って過ごせる時間が増えていくよう心から願ってやみません。
必要な支援が必要なところに届き、仕事のなくなった人に働くところができる
そういう状況が少しでも早く来ますように。





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Last updated  2012.03.22 15:45:59
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