フリーダカーロ展を観る
現在大統領官邸になるクイリナーレ宮殿。以前はローマ法王の宮殿として使われていた場所になる。その前にその宮殿のスクデリエ(馬屋)があり、現在は展覧会会場として使われている。フリーダカーロ展は今年3月末から始まり、8月末までそこでしている。さて、フリーダカーロについて軽い説明。1907年メキシコ市にある小さな村、コヨアカンで生まれた。父親はドイツ系の写真家だった。家族の希望で彼女は本来であれば医者になるはずだった。(医学部に行くための準備をしていた)17歳のとき事故で彼女は生涯不自由な体になる。この事故のために医学を諦め、絵を描くことを決意する。*アカデミーには行かずに父親の友人からエッチングの技術などを学ぶことから始まり、のちに夫となるデイエゴ リヴェラ、また渡米した際に出合ったジノ セヴェリーニなど多くの友人たちから学んだ*1949年リヴェラとの別離のあと、彼女の様態が悪化し、1954年47歳で亡くなる。彼女の50%以上の作品が自画像になるが、太い眉をみていると1900年代まだまだ男性中心の世界で不自由な体をもって生きた彼女の強い意志が伺える。実際に彼女はのちのフェミニズム運動の先駆けを作った女性として世界の女性から憧れのまとになる。彼女の絵は当時のクビズムから未来派、レアリズム、シュールレアリズムに大きく影響されて描かれている。特徴としてはメキシコ独自のドウアリズム、2重性が強いことで、それは男と女、月と太陽、生と死などに表現されている。生前かなり有名になった彼女の写真を撮ろうと世界中の有名な写真家たちが争うようにしてフリーダの写真を撮った。展覧会ではそういった写真や、彼女が使っていたブストつまりコルセットも展示されていたが、それには彼女が信じていたコミュニズムのシンボルマークである鎌とかなつち、また月と太陽が描かれていた。展覧会最後の部屋には彼女の死ぬ少し前に描かれた静物画が展示されていた。果物や野菜が描かれているのだが、(彼女はそれまで静物画はあまり描いていなかった)美術史批評家に依れば、それは今まで描いていた自画像がもう自分が変形してしまったために描けなくなってしまったからではないかという。だが、最後死ぬ直前に描かれたというスケッチはやはり彼女の自画像で、それはもう本当に荒いスケッチなのだが、自画像の両側に月と太陽が沈んでいくのが描かれていた。この絵、実はゴミ箱に捨てられていたものを家政婦さんが回収したもので最近まで知られていなかったものだという。あ~実にすごい展覧会だった。Scuderie del Quirinalevia XXIV Maggio 16, Romatel.06-39967500until 13 july 201410:00/20:00 from sunday to thursday10:00/22:30 friday and saturday from 14july201416:00/23:00 sunday to thursday16:00/24:00 friday and saturday