フェッラーラからパルマを旅する(5)パルマ
パルマはマントヴァやフェッラーラに比べると結構大きな街という印象を受けた。町並も綺麗だし(整然としている)お店もお洒落、ヴェローナの華やかさとは違うけれど、街が豊か、という感じ。この町を代表するのが、バリッラ。イタリア一の大きな食品会社で、パスタなどを作っている。バリッラ館というもあるそう。パルマには様々な行き方があるけれど、今回はマントヴァからモデナ乗り換えのローカル線で2時間半くらい。宿は駅と旧市街の中間地点になるピロッタ館傍のメルキュールスタンダール。部屋から近所のオラトーリオ(祈祷所)の屋根が見え、モダンな作りで快適だった。パルマで楽しみにしていたのは、食べ物もさることながら、ベネデット アンテラーミの作品だった。彼は12世紀から13世紀にかけての彫刻家、建築家であり、ニコラ ピサーノとともにイタリアゴシックを代表するアーチストと言われる。昔のことなのではっきりしたことは分かっていないが、ロンバルディア州のインテルヴィ谷、アンテラーミ谷とも呼ばれたらしい、に10世紀から石切職人の親方がいたことが古文書で残っているそうだ。のち12世紀にリグリア州で活躍し、フランスで活動をした後パルマで素晴らしいこの作品を残したわけだが、イタリア各地で彼の手になるものは残っている。(例えばジェノヴァの大聖堂のライオンなども)ロマネスクからゴシックの変わり目、ゴシックの彼の特徴として挙げられるのは、写実表現と特に日常生活や自然に注目していることだと言われる。(例えば洗礼堂内部の四季や12の月などを擬人化したものは、後にアンテラーミ派というスタイルを起こしイタリア中にそういったモチーフが流行るきっかけともなる)パルマの大聖堂も隣の洗礼堂もヴェローナのピンクの石で作られているが、13世紀の建物であり、特に洗礼堂の素朴さがいい。大聖堂内部は1500年代にこの周辺を治めていたファルネーゼ家のパウルス3世が(法皇領だった)マニエリスムにしてしまって華やかだが、アンテラーミのキリスト降架は見る価値がある。聖母マリアが亡くなった息子イエスキリストの右腕をもっていることに注目。ニコデモは梯子に登ってイエスキリストの釘を取り除いている。上部天使たちの横には花輪で囲まれた太陽と月のシンボルが彫られている。この時代、洗礼堂も下部に彫られた動物像を含めてまだ異教的なものが信仰されていたことが分かる気がする。また、このキリスト降架の背景はニエッロと呼ばれた東洋から来るテクニックで作られている。これは彫った部分を黒いスマルトで埋めていくものだという。洗礼堂はアンテラーミの大傑作で、建築から彫刻に至るまですべて彼の作品になる。外側のルネッタに彫られている最後の審判もカラフルで興味深いが、内部の12の月や季節を擬人化した彫刻が素敵。キリスト降架一部洗礼堂の最後の審判洗礼堂内12の月のうち6月中は色華やかなフレスコ画で飾られているし、彼の作品があるので入場料がかかるけれど、(隣の大聖堂左のショップでゲット)価値は十分ある。洗礼堂天井そのほか、旧市街はボルゴと名付けられた細い道が続くところだが迷いながらの散策が楽しい。この町出身の画家パルミジャニーノの像もあった。軽食をボルゴ内Via XX Marzo, 4にある古いお菓子屋さんPAGANIでとる。シュークリームのクリームが最高にオイシイ。この町で活躍したコレッジョやパルミジャニーノの作品を見ようといくつか教会を回り、最後にピロッタ館の美術館と考古学博物館へ。午後は美術館の半分が閉まってしまうので、コレッジョ、パルミジャニーノとファルネーゼ劇場(これは凄い。すべて木造で、1500年代建造だが、第2次世界大戦でかなり打撃をうけたので近年再建されたもの)、カノーヴァのナポレオンの御妃像などを観ることが出来る。ファルネーゼ劇場考古学博物館も小さいなりに見るものが結構あり、例えばトライヤヌス帝の時代に作られたブロンズ製の板はローマ帝国時代に農民たちに低利子で貸し出しが行われたその詳細が書かれたもの、がある。楽しみにしていたお夕食はボルゴ内ガッロ ドロ(黄金の鶏)へ。まあいいのだけれど、サービスが極端に遅く、フェッラーラのレストランには負けるかなと言う感じだった。オフシーズンならいいかもしれない。